2020-01-01から1年間の記事一覧

「子孫」について その1

『新改訳聖書』第3版の創世記22章15節から18節までに、次のように書かれています。***15節それから主の使いは、再び天からアブラハムを呼んで、16節仰せられた。「これは主の御(み)告げである。わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このこ…

「墓」について その3

これまで述べてきたことから、詩篇16篇10節(その1、冒頭)の「墓の穴」というのは、エゼキエル書32章22節と23節(その2、前半)に書かれている『墓』、の「穴」のことではないか、と考えることはできると思います。 詩篇16篇10節1行目から…

「墓」について その2

『新改訳聖書』第3版のエゼキエル書32章21節から23節までに、次のように書かれています。***21節勇敢な勇士たちは、その国を助けた者たちとともに、よみの中から語りかける。『降りて来て、剣で刺し殺された者、割礼を受けていない者たちととも…

「墓」について その1

『新改訳聖書』第3版の詩篇16篇10節に、次のように書かれています。***16篇10節まことに、あなたは、私のたましいを *よみに捨ておかず、 あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。 * →詩六・五* *** 1行目から、「・・・あなたは、…

「聖徒」について その3

『新改訳聖書』第3版の使徒の働き2章27節(その1、後半)に、「あなたは私のたましいをハデスに捨てて置かず、あなたの聖者が朽ち果てるのをお許しにならないからである。」とあります。 同章31節(その2、中ほど)に、『彼はハデスに捨てて置かれず…

「聖徒」について その2

『新改訳聖書』第3版の使徒の働き2章25節に、次のように書かれています。***2章25節ダビデはこの方について、こう言っています。 『私はいつも、自分の目の前に主を見ていた。 主は、私が動かされないように、 私の右におられるからである。***…

「聖徒」について その1

『新改訳聖書』第3版の詩篇16篇10節に、次のように書かれています。***16篇10節まことに、あなたは、私のたましいを*よみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。 * →詩六・五* *** 最後の行に、「あなたの聖徒・・・…

「とりこ」について その5

『新改訳聖書』第3版の列王記 第二25章18節から21節までに、次のように書かれています。***18節侍従長はさらに、祭司のかしらセラヤと次席祭司ゼパニヤと三人の入口を守る者を捕らえ、19節戦士の指揮官であったひとりの宦官と、町にいた王の*…

「とりこ」について その4

これまで述べてきたことからは、エゼキエル書12章の、わたしが引用した節に書かれていることが、列王記の時代、ユダの王ゼデキヤの第十一年と同じときのことなのか、それとも、違うときのことなのか、はまだ判断できないと思います。 「・・・荷物を背負っ…

「とりこ」について その3

『新改訳聖書』第3版のエゼキエル書12章12節(その2、第二段落)2行目から、「・・・彼は顔をおおうであろう。彼は自分の目でその地をもう見ないからである。・・・」とあります。 これによって、「彼(すなわち、彼らのうちにいる君主)」は、「その…

「とりこ」について その2

エゼキエル書12章11節(その1、前半)2行目からの、「・・・彼らはとりことなって引いて行(い)かれる・・・」というのは、いつのことでしょうか。 『新改訳聖書』第3版のエゼキエル書12章12節に、次のように書かれています。***12章12節…

「とりこ」について その1

『新改訳聖書』第3版のエゼキエル書12章9節から11節までに、次のように書かれています。***9節「人の子よ。反逆の家、イスラエルの家は、あなたに、『何をしているのか』と尋ねなかったか。10節彼らに言え。『*神である主はこう仰せられる。こ…

「イスラエルの山々」について その1

わたしは以前、「散らす」について その6(2020-10-08)の終わりから二つ目の段落で、次のように述べました。***「イスラエルの山々」というのが、ユダに対する「イスラエル」にある山々なのか、それとも、ユダを含む「イスラエルの地」にある山々なのか…

「散らす」について その6

『新改訳聖書』第3版のエゼキエル書5章12節(その3、後半)の「あなた」というのは、「だれ」のことでしょうか。これは、「その3」と「その4」で述べた疑問です。 エゼキエル書5章8節(その4、後半)に、「あなた」とあります。また、同章9節(そ…

「散らす」について その5

『新改訳聖書』第3版のエゼキエル書5章8節(その4、後半)冒頭の「それゆえ、・・・」というのは、何ゆえ、でしょうか。 5章6節と7節に、次のように書かれています。***6節エルサレムは諸国の民よりも悪事を働いて、わたしの定めに逆らい、その回…

「散らす」について その4

『新改訳聖書』第3版のエゼキエル書5章12節(その3、後半)の「あなた」というのは、「だれ」のことでしょうか。 エゼキエル書5章2節に、次のように書かれています。***5章2節その三分の一を、包囲の期間の終わるとき、町の中で焼き、またほかの…

「散らす」について その3

『新改訳聖書』第3版のレビ記26章33節に、次のように書かれています。***26章33節わたしはあなたがたを国々の間に散らし、剣を抜いてあなたがたのあとを追おう。あなたがたの地は荒れ果て、あなたがたの町々は廃墟となる。*** 1行目に、「わ…

「散らす」について その2

『新改訳聖書』第3版のエゼキエル書6章8節に、次のように書かれています。***6章8節しかし、わたしは、あなたがたのある者を残しておく。わたしがあなたがたを国々に追い散らすとき、剣をのがれた者たちを諸国の民の中におらせる。*** 2行目から…

「散らす」について その1

『新改訳聖書』第3版のエゼキエル書6章8節に、次のように書かれています。***6章8節しかし、わたしは、あなたがたのある者を残しておく。わたしがあなたがたを国々に追い散らすとき、剣をのがれた者たちを諸国の民の中におらせる。*** 1行目から…

「神の子ども」について その6

『新改訳聖書』第3版のガラテヤ人への手紙4章4節から7節までに、次のように書かれています。***4節しかし定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。5節これは律法の下にあ…

「神の子ども」について その5

御子は地上に来られて、「イエス」というお名前を与えられました。 イエスは、女の人から生まれ、「人の子」となられました。 『新改訳聖書』第3版のマタイの福音書3章16節と17節に、次のように書かれています。***16節こうして、イエスはバプテ…

「神の子ども」について その4

アブラハムには、神の御霊(みたま)が授けられていなかったとすると、アブラハムは、生きている間は「神の子ども」とされてはいなかった、ということになります。神の御霊(みたま)に導かれることができないからです。ただ、「世界の相続人となるという約…

「神の子ども」について その3

『新改訳聖書』第3版のローマ人への手紙8章17節に、次のように書かれています。***8章17節もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリス…

「神の子ども」について その2

「その1」で述べたことと関連して、ルカの福音書20章35節と36節に、次のように書かれています。***35節次の世に入るのにふさわしく、死人の中から復活するのにふさわしい、と認められる人たちは、めとることも、とつぐこともありません。36節…

「神の子ども」について その1

『新改訳聖書』第3版のローマ人への手紙8章14節に、次のように書かれています。***8章14節神の御霊(みたま)に導かれる人は、だれでも神の子どもです。*** 「・・・だれでも神の子ども『です』。」とあるのですが、一方、19節には、次のよう…

「相続」について その2

『新改訳聖書』第3版のへブル人への手紙11章8節に、次のように書かれています。***11章8節信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行(い)けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行(い)くのかを知らないで、出て…

「相続」について その1

『新改訳聖書』第3版の使徒の働き7章4節と5節に、次のように書かれています。***4節そこで、アブラハムはカルデヤ人の地を出て、ハランに住みました。そして、父の死後、神は彼をそこから今あなたがたの住んでいるこの地にお移しになりましたが、5…

「恵み」について その2

『新改訳聖書』第3版のローマ人への手紙3章23節と24節に、次のように書かれています。***23節すべての人は、罪を犯したので、*神からの栄誉を受けることができず、 * 別訳「神の栄光に達しない」 24節ただ、神の恵みにより、キリスト・イエス…

「恵み」について その1

『新改訳聖書』第3版のローマ人への手紙4章4節と5節に、次のように書かれています。***4節働く者の場合に、その報酬は恵みではなくて、当然支払うべきものとみなされます。5節何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、…

「四百三十年」について その13

創世記28章13節と14節の神のみことばを、ガラテヤ人への手紙3章17節の契約と仮定します。そうするとこれは、ヤコブが40歳のときのことになります。 ガラテヤ人への手紙3章17節の「四百三十年」を、仮に、ヤコブとの契約から律法までとします。…