『新改訳聖書』第3版のエゼキエル書5章12節(その3、後半)の「あなた」というのは、「だれ」のことでしょうか。これは、「その3」と「その4」で述べた疑問です。
エゼキエル書5章8節(その4、後半)に、「あなた」とあります。また、同章9節(その4、後半)にもあります。5章1節から7節までの文脈からすると、この8節の「あなた」というのは、「エルサレム」のこと、と言うことができると思います。9節も同じです。
10節以降の「あなた」も、この5章8節と9節の「あなた」と同じである、と考えられます。そうだとすると、5章12節(その3、後半)の「あなた」も同様で、「エルサレム」のこと、と考えられます。
つまり、「残りの三分の一を、わたしは四方に散らし、剣を抜いて彼らのあとを追う。」(5章12節)というのは、「エルサレム」でのことについて言われている、ということです。
同じように、5章2節(その4、前半)の「・・・わたしは剣を抜いて彼らのあとを追う。」も、「エルサレム」でのことについて言われている、と言うことができると思います。「包囲」という言葉があり、「町」という言葉があります。
そうすると、レビ記26章33節(その3、冒頭)の「わたしは・・・剣を抜いてあなたがたのあとを追おう。・・・」というのは、「エルサレム」でのことではないか、という考えが浮かびます。
レビ記26章33節(その3、冒頭)の「あなたがた」というのは、レビ記25章2節の「・・・イスラエル人・・・」のこと、と言うことができると思います。この「あなたがた」が、26章まで続いています。
「わたしは・・・剣を抜いてあなたがたのあとを追おう。・・・」(レビ記26:33)というのは、エルサレムにいるイスラエル人について言われているのではないか、と考えられるのです。
これに対して、レビ記26章33節の第二文、「あなたがたの地は荒れ果て、あなたがたの町々は廃墟となる。」というのは、「ユダ」についてか、もしくは、ユダを含む「イスラエルの地」について言われているのではないか、と思われます。「・・・あなたがたの『町々』は廃墟となる。」とあるからです。
エゼキエル書6章6節(その1、後半)に、「あなたがたがどこに住もうとも、『町々』は廃墟となり、高き所は荒らされる。・・・」とあります。これは、「イスラエルの山々」(エゼキエル書6章2節など)でのこと、と言うことができると思います。つまり、「イスラエルの山々」にある『町々』は廃墟となる、ということです。
「イスラエルの山々」というのが、ユダに対する「イスラエル」にある山々なのか、それとも、ユダを含む「イスラエルの地」にある山々なのか、という点はありますが、仮に、レビ記26章33節第二文の『町々』が、「イスラエルの山々」にある『町々』だとすると、レビ記26章33節の第二文は、エゼキエル書6章6節(その1、後半)で言われているときと同じときのこと、もしくは、ほぼ同じときのことになります。
このように考えられるのですが、どのように思われるでしょうか。