エレミヤ書50章について その20

新改訳聖書』第3版のエゼキエル書6章9節(その19冒頭)に、次のように書かれています。
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9節
あなたがたのうちののがれた者たちは、とりこになって行(い)く国々で、わたしを思い出そう。それは、わたしから離れる彼らの姦淫の心と、偶像を慕う彼らの姦淫の目をわたしが打ち砕くからだ。彼らが自分たちのあらゆる忌みきらうべきことをしたその悪をみずからいとうようになるとき、
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1行目から、「あなたがたのうちののがれた者たちは、『とりこになって行(い)く』国々で、わたしを思い出そう。・・・」とあります。

 

このことばから、「あなたがたのうちののがれた者たち」は、国々に『とりこになって行(い)く』、ということが分かります。

 

「あなたがた」というのは、エゼキエル書6章3節(その18冒頭)3行目の、「・・・山や丘、谷川や谷・・・」のことである、と言うことができます。「その17」後半と「その18」をご参照ください。

 

「あなたがたのうちののがれた者たち」(9節、上記冒頭)というのは、「神である主」が「わたしは、あなたがたのある者を残しておく」(8節、その19冒頭)と言われた者たちのことであり、また「剣をのがれた者たち」(8節)のことである、と言うことができると思います。

 

エゼキエル書6章4節(その18中ほど、もしくは後半)2行目に、「・・・あなたがた(すなわち、山や丘、谷川や谷)のうちの刺し殺された者ども・・・」とあります。

 

この、「あなたがた(すなわち、山や丘、谷川や谷)のうちの刺し殺された者ども」以外の者たちが、「剣をのがれた者たち」(8節、その19冒頭)である、と言うことができると思います。

 

8節と9節の記述から、この「剣をのがれた者たち」(8節、その19冒頭)が「国々に追い散ら」(8節)され、また国々に『とりこになって行(い)く』(9節)、と言うことができます。

 

国々に追い散らされる者たちがすべて、国々に『とりこになって行(い)く』のではないと思いますが、国々に追い散らされる者たちの中には、国々に『とりこになって行(い)く』者たちがいる、ということは言えると思います。

 

「あなたがた(すなわち、山や丘、谷川や谷)のうちののがれた者たち」(9節)が、国々に『とりこになって行(い)く』ということに関しては、エゼキエル書6章9節(上記冒頭)で、明確に言われています。

 

「『国々に』とりこになって行(い)く」という言葉から、エゼキエル書6章9節に書かれていることは、列王記の時代、ユダの王ゼデキヤの第十一年に、バビロンの王ネブカデ『ネ』ザルによって、ユダの民とエルサレムの住民が捕囚としてバビロンに捕らえ移されたときのことではない、と言うことができます。

 

列王記の時代、ユダの王ゼデキヤの第十一年には、『国々に』とりこになって行ったのではなく、バビロン『一国』にとりこになって行ったからです。

 

その21、に続きます。