2023-03-01から1ヶ月間の記事一覧

「死刑」について その8

イエスが「神の子キリスト」であることは、イエスご自身がお認めになっただけではなく、ナタナエルやマルタも認めています。「冒瀆」について その1(2023-03-01)後半をご参照ください。 これまで述べて来たことから、イエスは神を冒瀆していない、と言う…

「死刑」について その7

『新改訳聖書』第3版のマタイの福音書26章64節(その5冒頭)で、イエスは大祭司に、「・・・あなたの言うとおりです・・・」と言われました。 「あなたの言うとおりです」と言われることによって、イエスはご自分が「神の子キリスト」であることを、お…

「死刑」について その6

『新改訳聖書』第3版のペテロの手紙 第一2章22節に、次のように書かれています。***22節キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。*** 1行目に、「キリストは罪を犯したことがなく、・・・」とあります。 キ…

「死刑」について その5

『新改訳聖書』第3版のマタイの福音書26章64節(その4冒頭)に、次のように書かれています。***64節イエスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の…

「死刑」について その4

『新改訳聖書』第3版のマタイの福音書26章63節から66節までに、次のように書かれています。***63節しかし、イエスは黙っておられた。それで、大祭司はイエスに言った。「私は、生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなの…

「死刑」について その3

『新改訳聖書』第3版のヨハネの福音書2章19節(その1中ほど、もしくは後半)2行目の、「三日でそれを建てよう」や、「三日の**うちに(あるいは、後に)建て直せる」(マタイ26:61、その2冒頭)というのは、イエスが三日目によみがえることを…

「死刑」について その2

『新改訳聖書』第3版のマタイの福音書26章60節と61節(いずれも、その1冒頭)に、次のように書かれています。***60節偽証者がたくさん出て来たが、証拠はつかめなかった。しかし、最後にふたりの者が進み出て、61節言った。「この人は、『わ…

「死刑」について その1

『新改訳聖書』第3版のマタイの福音書26章59節から62節までに、次のように書かれています。***59節さて、祭司長たちと全*議会は、イエスを死刑にするために、イエスを訴える偽証を求めていた。 * あるいは「サンヘドリン」 60節偽証者がたく…

「冒瀆」について その6

悪魔が人殺しである(『新改訳聖書』第3版のヨハネの福音書8章44節、その5冒頭)のと同様に、『あなたがたの父である悪魔』から出た「あなたがた」も人殺しである、と言うことができると思います。 人殺しであるから、イエスを殺すのであり、イエスを殺…

「冒瀆」について その5

『新改訳聖書』第3版のヨハネの福音書8章44節(その4冒頭)に、次のように書かれています。***44節あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであ…

「冒瀆」について その4

『新改訳聖書』第3版のヨハネの福音書8章42節から44節までに、次のように書かれています。***42節イエスは言われた。「神がもしあなたがたの父であるなら、あなたがたはわたしを愛するはずです。なぜなら、わたしは神から出て来てここにいるから…

「冒瀆」について その3

『新改訳聖書』第3版のヨハネの福音書8章37節から41節までに、次のように書かれています。***37節わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫であることを知っています。しかしあなたがたはわたしを殺そうとしています。わたしのことばが、あなたが…

「冒瀆」について その2

ナタナエルやマルタは、イエスが『神の子』であることを認めている、と言うことができると思います。「その1」後半をご参照ください。 イエスが『わたしは神の子である』と言われたとしても、ナタナエルやマルタは『神を冒瀆している』(ヨハネ10:36、…

「冒瀆」について その1

『新改訳聖書』第3版のヨハネの福音書10章33節に、次のように書かれています。***33節ユダヤ人たちはイエスに答えた。「良いわざのためにあなたを石打ちにするのではありません。冒瀆のためです。あなたは人間でありながら、自分を神とするからで…