「死刑」について その8

エスが「神の子キリスト」であることは、イエスご自身がお認めになっただけではなく、ナタナエルやマルタも認めています。「冒瀆」について その1(2023-03-01)後半をご参照ください。

 

これまで述べて来たことから、イエスは神を冒瀆していない、と言うことができると思います。

 

エスは、「あなたの言うとおりです」(マタイ26:64、その5冒頭)と言われることによって、ご自分が「神の子キリスト」であることを、お認めになりましたが、それは本当のことであり、『真実』である、と言うことができると思います。

 

しかし、大祭司やユダヤ人たちは、イエスは『神を冒瀆した』と言いました。

 

大祭司やユダヤ人たちは、イエスは神を冒瀆したと『思い込んだ』のです。

 

大祭司やユダヤ人たちが『思い込んだ』のは、「彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないから」(マタイ13:13、その4中ほどもしくは後半)ではないか、と思います。

 

マタイの福音書21章15節に、次のように書かれています。
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15節
ところが、祭司長、律法学者たちは、イエスのなさった驚くべきいろいろのことを見、また宮の中で子どもたちが「ダビデ子にホサナ」と言って叫んでいるのを見て腹を立てた。
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1行目から、「・・・祭司長、律法学者たちは、イエスのなさった驚くべきいろいろのことを見・・・て腹を立てた。」とあります。

 

祭司長、律法学者たちには、「イエスのなさった驚くべきいろいろのこと」は見えていても、そこに『神のわざ』を見ることはできなかった、のではないでしょうか。

 

聖書によると、イエスは罪を犯されなかった、のですが、大祭司やユダヤ人たちはイエスが『神を冒瀆した』と思って、「彼(すなわち、イエス)は死刑に当たる」(マタイ26:66、その4冒頭)としました。

 

エスは罪を犯されなかったのですが、大祭司やユダヤ人たちによって、『罪を犯した者とされた』、ということであると思います。

 

エスは『重罪人』ではないのに、『重罪人』とされ『死刑』にされた、ということだと思います。

 

もしもイエスは『重罪人』である、という主張が『真実』であるとすると、聖書で言われている、イエスは罪を犯されなかった、という記述は『偽り』である、ということになります。

 

いかがでしょうか。どのように思われますか。