「蛇」について その1

新改訳聖書』第3版のマタイの福音書23章33節から35節までに、次のように書かれています。
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33節
おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。
34節
だから、わたしが預言者、知者、律法学者たちを遣わすと、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して行(い)くのです。
35節
それは、義人アベルの血からこのかた、*神殿と祭壇との間で殺されたバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上で流されるすべての正しい血の報復がおまえたちの上に来るためです。

 

* あるいは「聖所」

 

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33節から35節までの、「おまえたち」というのは、もちろん、「蛇ども、まむしのすえども」(33節)のことです。

 

35節に、「それは、義人アベルの血からこのかた、*神殿(あるいは、聖所)と祭壇との間で殺されたバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上で流されるすべての正しい血の報復がおまえたちの上に来るためです。」とあります。

 

「義人アベルの血からこのかた、・・・バラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上で流されるすべての正しい血」とあることから、「地上で流されるすべての正しい血」の中には、『義アベルの血』が含まれる、と言うことができます。

 

そうすると、「地上で流されるすべての正しい血の報復がおまえたちの上に来る」と言う場合、『義人アベルの血』の報復も、「『おまえたちの上に』来る」(35節)、ということになります。

 

『おまえたち』というのは、誰のことでしょうか。

 

それは、『蛇ども、まむしのすえども』(33節)のことです。

 

つまり、『義人アベルの血』の報復が『蛇ども、まむしのすえども』の上に来る、ということです。

 

なぜ、『義人アベルの血』の報復が『おまえたちの上に』来る、と言えるのでしょうか。

 

それは、『義人アベルの血』は『おまえたち』が流したから、ではないでしょうか。

 

『おまえたち』が『義人アベルの血』を流したので、『義人アベルの血』の報復は『おまえたちの上に』来る、ということだと思います。

 

そうであるとすると、『おまえたち』はアベルがいた時にすでにいた、ということになります。

 

また、35節には、「・・・地上で流されるすべての正しい血の報復がおまえたちの上に来る・・・」とあります。

 

この言葉から、『おまえたち』は『義人アベルの血』を流しただけではなく、『地上で流されるすべての正しい血』をも流した、と言うことができます。

 

だから、「地上で流されるすべての『正しい血の報復』が『おまえたち』の上に来る」、のだと思います。

 

マタイの福音書23章13節からの文脈より、『蛇ども、まむしのすえども』というのは、「偽善の律法学者、パリサイ人」のことを指している、と言うことができると思います。

 

「偽善の律法学者、パリサイ人」というのは、イエスが地上におられた時の人々です。

 

アベルがいた時の人々ではありません。

 

しかし『おまえたち』は、アベルがいた時にすでに存在していた、と考えられます。

 

なぜなら、『義人アベルの血』の報復が『おまえたちの上に』来る、ということは、『おまえたち』は『義人アベルの血』を流したということであり、アベルがいた時に『おまえたち』はすでに存在していてその時それを流した、と言うことができるからです。

 

以上述べて来たことから、『おまえたち』と「偽善の律法学者、パリサイ人」とは、『別々の』存在である、あるいは『違う』、または『異なる』存在である、と言うことができると思います。

 

つまり、『おまえたち』すなわち『蛇ども、まむしのすえども』は、アベルがいた時からすでに存在する者たちであり、「偽善の律法学者、パリサイ人」は、アベルがいた時の人々ではなく、エスが地上におられた時の人々である、ということです。

 

『蛇ども、まむしのすえども』は、アベルがいた時には、カインを支配していたと考えられ、カインが死んでからはほかの誰かを支配し、その、ほかの誰かが死んでからは次々と人々を支配し、イエスが地上におられた時には、「偽善の律法学者、パリサイ人」を支配していた、と言うことができると思います。

 

そして、『おまえたち』は「正しい血」を流したので、「正しい血の報復が『おまえたち』の上に来」て、「ゲヘナの刑罰を・・・のがれることができ」ない、のだと思います。