2022-11-01から1ヶ月間の記事一覧

「大水」について その10

『新改訳聖書』第3版の詩篇69篇19節に、次のように書かれています。***19節あなたは私へのそしりと、私の恥と私への侮辱とをご存じです。私に敵対する者はみな、あなたの御(み)前にいます。*** 「私へのそしり」(1行目)と「私への侮辱」(…

「大水」について その9

『新改訳聖書』第3版の詩篇69篇17節(その8中ほど)2行目に、「私は苦しんでいます。・・・」とあります。 「私」が苦しんでいるのは、7節(その8冒頭)などの「そしり」や「侮辱」を受け、11節の「彼らの物笑いの種」となり、12節の「酔いどれ…

「大水」について その8

『新改訳聖書』第3版の詩篇69篇7節から9節までに、次のように書かれています。***7節私は、あなたのためにそしりを負い、侮辱が私の顔をおおっていますから。8節私は自分の兄弟からは、のけ者にされ、私の母の子らにはよそ者となりました。9節そ…

「大水」について その7

『新改訳聖書』第3版の詩篇69篇1節から3節まで(その5中ほど)に、次のように書かれています。***1節神よ。私を救ってください。水が、私ののどにまで、入って来ましたから。2節私は深い泥沼に沈み、足がかりもありません。私は大水の底に陥り奔…

「大水」について その6

『新改訳聖書』第3版の詩篇69篇2節(その5中ほど)の、「大水」や「奔流」が、もしも文字通りのものであるとすると、「私は呼ばわって疲れ果て、のどが渇き、私の目は、わが神を待ちわびて、衰え果てました」というのは、文字通りの「大水の底」でのこ…

「大水」について その5

『新改訳聖書』第3版のヨハネの黙示録17章1節(その4冒頭)、および同章15節(その4前半)の記述から、「大水」は「もろもろの民族、群衆、国民、国語」の『たとえ』として用いられている、と言うことができると思います。 詩篇69篇2節(その3前…

「大水」について その4

『新改訳聖書』第3版のヨハネの黙示録17章1節に、次のように書かれています。***1節また、七つの鉢を持つ七人の御使いのひとりが来て、私に話して、こう言った。「ここに来なさい。大水の上にすわっている大淫婦(だいいんぷ)へのさばきを見せまし…

「大水」について その3

「その1」と「その2」で見たように、『新改訳聖書』第3版の詩篇69篇9節の「私」というのは、ヨハネの福音書2章13節から17節までの記述、およびローマ人への手紙15章3節の記述から、「イエス」または「キリスト」のことと考えられます。 詩篇6…

「大水」について その2

『新改訳聖書』第3版の詩篇69篇9節(その1冒頭)に、次のように書かれています。***9節それは、あなたの家を思う熱心が私を食い尽くし、あなたをそしる人々のそしりが、私に降りかかったからです。*** 「あなた」というのは、「神」のことと言う…

「大水」について その1

『新改訳聖書』第3版の詩篇69篇9節に、次のように書かれています。***9節それは、あなたの家を思う熱心が私を食い尽くし、あなたをそしる人々のそしりが、私に降りかかったからです。*** 1行目から、「・・・あなたの家を思う熱心が私を食い尽く…