2023-01-01から1ヶ月間の記事一覧

「右の座」について その5

「その4」で見たように、マタイの福音書26章64節(その3後半、及びその1冒頭)の『力ある方』というのは、『神』のことであると考えられます。 『力ある方』というのが『神』のことであるとすると、その右の座に着く『人の子』というのは、『イエス』…

「右の座」について その4

『新改訳聖書』第3版のエペソ人への手紙1章20節と21節(いずれも、その2前半)に、次のように書かれています。***20節神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせ…

「右の座」について その3

「その2」の終わりのほうで、わたしは、***以上見て来たように、「神の『右の座』に着かれた」のは、『キリスト』であり、『御子(みこ)』であり、『キリスト・イエス』であり、『主イエス』である、と言うことができると思います。***と述べました…

「右の座」について その2

『新改訳聖書』第3版のローマ人への手紙8章34節に、次のように書かれています。***34節罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、*よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしてい…

「右の座」について その1

『新改訳聖書』第3版のマタイの福音書26章64節に、次のように書かれています。***64節イエスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来る…

「律法学者」について その5

『新改訳聖書』第3版のマタイの福音書23章1節から3節までに、次のように書かれています。***1節そのとき、イエスは群衆と弟子たちに話をして、2節こう言われた。「律法学者、パリサイ人たちは、モーセの座を占めています。3節ですから、彼らがあ…

「律法学者」について その4

『新改訳聖書』第3版のマルコの福音書7章10節から12節まで(その3冒頭)に、次のように書かれています。***10節モーセは、『あなたの父と母を敬え』、また『父や母をののしる者は死刑に処せられる』と言っています。11節それなのに、あなたが…

「律法学者」について その3

『新改訳聖書』第3版のマルコの福音書7章10節(その2後半)から12節までに、次のように書かれています。***10節モーセは、『あなたの父と母を敬え』、また『父や母をののしる者は死刑に処せられる』と言っています。11節それなのに、あなたが…

「律法学者」について その2

『新改訳聖書』第3版のマルコの福音書7章8節と9節(いずれも、その1冒頭)に、次のように書かれています。***8節あなたがたは、神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている。」9節また言われた。「あなたがたは、自分たちの言い伝えを守る…

「律法学者」について その1

『新改訳聖書』第3版のマルコの福音書7章1節から9節までに、次のように書かれています。***1節さて、パリサイ人たちと幾人かの律法学者がエルサレムから来ていて、イエスの回りに集まった。2節イエスの弟子のうちに、汚(けが)れた手で、すなわち…

「苦しみ」について その8

聖書には、イエスが「苦しみを受ける」(ルカ22:15、マタイ16:21)、ということが書かれています。 イエスが「苦しみを受ける」と言う場合、それは、ユダヤ人の『長老、祭司長、律法学者たちから』(マタイ16:21、その4前半)受けるだけでは…

「苦しみ」について その7

『新改訳聖書』第3版のマタイの福音書27章39節から44節までに、次のように書かれています。***39節道を行(い)く人々は、頭を振りながらイエスをののしって、40節言った。「神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救…

「苦しみ」について その6

『新改訳聖書』第3版のマタイの福音書27章1節と2節に、次のように書かれています。***1節さて、夜が明けると、祭司長、民の長老たち全員は、イエスを死刑にするために協議した。2節それから、イエスを縛って連れ出し、総督ピラトに引き渡した。*…

「苦しみ」について その5

『新改訳聖書』第3版のマタイの福音書20章19節(その4冒頭)の、「・・・あざけり、むち打ち、十字架につける・・・」というのは、「彼ら」すなわち「祭司長、律法学者たち」(マタイ20:18、その4冒頭)がすることではなく、「異邦人」がするこ…

「苦しみ」について その4

『新改訳聖書』第3版のマタイの福音書20章17節から19節まで(その1中ほど)に、次のように書かれています。***17節さて、イエスは、エルサレムに上ろうとしておられたが、十二弟子だけを呼んで、道々彼らに話された。18節「さあ、これから、…

「苦しみ」について その3

『新改訳聖書』第3版のマタイの福音書26章20節から57節までの記述より、「人の子」すなわち「イエス」が、「祭司長、律法学者たちに引き渡される」(マタイ20:18)のは、「過越(すぎこし)の食事」の『あと』である、と言うことができます。「…