「右の座」について その3

「その2」の終わりのほうで、わたしは、
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以上見て来たように、「神の『右の座』に着かれた」のは、『キリスト』であり、『御子(みこ)』であり、『キリスト・イエス』であり、『主イエス』である、と言うことができると思います。
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と述べました。下から2段落目です。

 

このうち、『御子(みこ)』については、「すぐれて高い所の大能者(たいのうしゃ)の『右の座』に着かれました」、というように書かれています。へブル人への手紙1章3節(その1後半)です。

 

「すぐれて高い所の大能者(たいのうしゃ)」というのは、「神」以外には考えられないと思い、「『神』の右の座に着かれた」方として、『御子(みこ)』を挙げました。

 

「大能者(たいのうしゃ)」については、一つの話題として、今述べている「右の座」について、とは別に述べようと思います。

 

今述べている「右の座」について、では簡単に、「大能者(たいのうしゃ)」というのは、「神」のことであるとします。

 

新改訳聖書』第3版のマタイの福音書26章64節(その1冒頭)に、次のように書かれています。
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64節
エスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」
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「彼」というのは、26章65節と63節と62節の「大祭司」のことであり、また、同章57節の「大祭司カヤパ」のことである、と言うことができると思います。

 

「イエスは彼に言われた」は、「イエスは大祭司カヤパに言われた」、となります。

 

この64節では、『右の座』は、「『神の』右の座」ではなく、「『力ある方』の右の座」となっています。

 

『力ある方』とはどなたでしょうか。

 

その4、に続きます。