「苦しみ」について その2

新改訳聖書』第3版のマタイの福音書26章17節から19節まで(その1後半)に、弟子たちが「過越(すぎこし)の食事」の用意をしたということ、また、同章20節に、「イエスは十二弟子といっしょに食卓に着かれた」、ということが書かれています。

 

つまり、26章『20節』で、「過越(すぎこし)の食事」が始まった、と言うことができると思います。

 

そして、マタイの福音書26章『47節』に、ユダがやって来たことが書かれています。

 

マタイの福音書26章47節は、次のようになっています。
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47節
エスがまだ話しておられるうちに、見よ、十二弟子のひとりであるユダがやって来た。剣や棒を手にした大ぜいの群衆もいっしょであった。群衆はみな、祭司長、民の長老たちから差し向けられたものであった。
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ユダがやって来たのは、「過越(すぎこし)の食事」の『あと』のことです。

 

そして、マタイの福音書26章50節には、次のように書かれています。
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50節
エスは彼に、「友よ。何のために来たのですか」と言われた。そのとき、群衆が来て、イエスに手をかけて捕らえた。
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1行目の「彼」というのは、26章48節の「イエスを裏切る者・・・」のことであり、それは、同章47節の、「・・・十二弟子のひとりであるユダ・・・」のこと、と言うことができます。

 

50節2行目に、「そのとき、群衆が来て、イエスに手をかけて捕らえた。」とあります。

 

このとき、イエスは捕(つか)まりました。

 

さらに、マタイの福音書26章57節に、次のように書かれています。
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57節
エスをつかまえた人たちは、イエスを大祭司カヤパのところへ連れて行った。そこには、律法学者、長老たちが集まっていた。
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エスは「大祭司」や「律法学者、長老たち」のところに連れて行(い)かれた、ということが書かれています。

 

この節の記述から、イエスは彼らに引き渡された、と言うことができると思います。

 

つまり、26章『20節』で「過越(すぎこし)の食事」が始まり、同章『47節』でユダがやって来て、同『50節』でイエスは捕まり、同『57節』でイエスは、連れて行(い)かれて引き渡された、ということです。

 

以上述べて来たことから、イエスは、「過越(すぎこし)の食事」の『あと』に「祭司長、律法学者たちに引き渡され」(マタイ20:18、その1中ほど)た、と言うことができると思います。

 

その3、に続きます。