『新改訳聖書』第3版のエゼキエル書6章2節と3節(いずれも、その17後半)に、次のように書かれています。
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2節
「人の子よ。あなたの顔をイスラエルの山々に向け、それらに向かって預言して、
3節
言え。
イスラエルの山々よ。*神である主のことばを聞け。神である主は、山や丘、谷川や谷に向かってこう仰せられる。見よ。わたしは剣をあなたがたにもたらし、あなたがたの高き所を打ちこわす。
* エゼ六・三、一一「神」の子音字は「主」
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「その17」の下から6段落目で、わたしは、
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また、「あなたがた」というのは、3節2行目の「・・・山や丘、谷川や谷・・・」のことであると思われます。
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と述べました。
「思われます」と言ったのは、3節2行目に「イスラエルの山々よ。・・・」と「人の子」が言っているからです。
「イスラエルの山々よ」と呼びかけているので、「あなたがた」というのは、「イスラエルの山々」のことかもしれないと思ったからです。
しかしよく読むと、3節2行目からの、「イスラエルの山々よ。*神である主のことばを聞け。神である主は、山や丘、谷川や谷に向かってこう仰せられる。」の部分は、「人の子」(2節)が言った言葉であり、続く「見よ。わたしは剣をあなたがたにもたらし、あなたがたの高き所を打ちこわす。」は、神である主が仰せられることばです。
「神である主は、『山や丘、谷川や谷に向かって』こう仰せられる。」(3節2行目から)とあります。
つまり、神である主は、『山や丘、谷川や谷に向かって』「わたしは剣を『あなたがた』にもたらし、『あなたがた』の高き所を打ちこわす」と仰せられる、ということです。
『山や丘、谷川や谷に向かって』『あなたがた』と仰せられるのですから、『あなたがた』というのは、『山や丘、谷川や谷』のことになります。
エゼキエル書6章2節と3節(いずれも、上記冒頭)を読む限り、『あなたがた』というのは、「イスラエルの山々」のことというよりは、『山や丘、谷川や谷』のことと考えたほうがよさそうです。
そしてエゼキエル書6章4節以降について触れますと、4節から7節までに書かれていることは、「わたしは剣をあなたがたにもたらし、あなたがたの高き所を打ちこわす」(上記冒頭3節)ときのことである、と言うことができると思います。
エゼキエル書6章4節から7節までは、次のようになっています。
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4節
あなたがたの祭壇は荒らされ、あなたがたの香の台は砕かれる。わたしはあなたがたのうちの刺し殺された者どもを、あなたがたの偶像の前に投げ倒す。
5節
わたしは、イスラエルの民の死体を彼らの偶像の前に置き、あなたがたの骨をあなたがたの祭壇の回りにまき散らす。
6節
あなたがたがどこに住もうとも、町々は廃墟となり、高き所は荒らされる。あなたがたの祭壇は廃墟となり、*罪に定められる。あなたがたの偶像が砕きに砕かれ、あなたがたの香の台は切り倒され、あなたがたのしたわざは消し去られ、
* 幾つかの古代訳は「荒れ果てる」
7節
刺し殺された者があなたがたのうちに横たわるとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。
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4節から7節までを読むと、そこに書かれていることは、「わたしは剣をあなたがたにもたらし、あなたがたの高き所を打ちこわす」(3節)ときのことである、と言うことができると思います。
「刺し殺された」(4節と7節)という言葉によって、「剣」がもたらされることについて書かれていることが分かり、また「高き所は荒らされる」(6節)という言葉によって、「高き所」が打ちこわされることについて書かれていることが分かる、のではないかと思います。
「イスラエルの山々よ・・・聞け」(3節)というのは、4節から7節までに書かれていることを聞け、ということであると思われます。
4節から7節までに書かれていることは、「神である主のことば」(3節)だからです。
ただし、4節から7節までに書かれていることだけではなく、8節から10節までに書かれていることも、「神である主のことば」です。
したがって、「イスラエルの山々よ・・・聞け」(3節)というのは、4節から10節までに書かれていることを聞け、ということである、と言うことができます。
「*神」(上記冒頭3節)については、3節の脚注に、『「神」の子音字は「主」』、とあります。
つまり、「主」が仮に「ヤハウェ」だとすると、「神
である主のことば」(3節)は、「ヤハウェである主のことば」となります。
その19、に続きます。