2024-04-01から1ヶ月間の記事一覧

エレミヤ書50章について その17

『新改訳聖書』第3版のエレミヤ書50章17節(その14中ほど、もしくは前半)に、次のように書かれています。***17節イスラエルは雄獅子に散らされた羊。先にはアッシリヤの王がこれを食らったが、今度はついに、バビロンの王ネブカデレザルがその…

エレミヤ書50章について その16

『新改訳聖書』第3版のエレミヤ書50章3節(その1冒頭)に、次のように書かれています。***3節なぜなら、北から一つの国がここに攻め上り、この地を荒れ果てさせたからだ。ここには住む者もない。人間から家畜に至るまで逃げ去った。*** 2行目か…

エレミヤ書50章について その15

『新改訳聖書』第3版のエレミヤ書50章6節(その11冒頭)に、次のように書かれています。***6節わたしの民は、迷った羊の群れであった。その牧者が彼らを迷わせ、山々へ連れ去った。彼らは山から丘へと行(ゆ)き巡って、休み場を忘れてしまった。…

エレミヤ書50章について その14

『新改訳聖書』第3版のエゼキエル書34章7節と8節(いずれも、その13前半)に、次のように書かれています。***7節それゆえ、牧者たちよ、主のことばを聞け。8節わたしは生きている。―神である主の御(み)告げ―わたしの羊はかすめ奪われ、牧者が…

エレミヤ書50章について その13

『新改訳聖書』第3版のエゼキエル書34章5節(その12前半)に、「彼らは『牧者がいない』ので、散らされ・・・た。」、または「彼らは牧者がいないので、散らされ・・・てしまった。」とあります。 『牧者がいない』ということについては、エゼキエル書…

エレミヤ書50章について その12

「その11」で述べたように、『新改訳聖書』第3版のエゼキエル書34章2節(その11前半)の『牧者たち』というのは、「王」と「首長」、または「王」や「首長」のことである、と考えることができると思います。 この『牧者たち』について、エゼキエル書…

エレミヤ書50章について その11

『新改訳聖書』第3版のエレミヤ書50章6節と7節(いずれも、その8前半)に、次のように書かれています。***6節わたしの民は、迷った羊の群れであった。その牧者が彼らを迷わせ、山々へ連れ去った。彼らは山から丘へと行(ゆ)き巡って、休み場を忘…

エレミヤ書50章について その10

『新改訳聖書』第3版のエレミヤ書50章17節(その9後半)に、次のように書かれています。***17節イスラエルは雄獅子に散らされた羊。先にはアッシリヤの王がこれを食らったが、今度はついに、バビロンの王ネブカデレザルがその骨まで食らった。*…

エレミヤ書50章について その9

『新改訳聖書』第3版のエゼキエル書34章6節(その8中ほど)に、次のように書かれています。***6節わたしの羊はすべての山々やすべての高い丘をさまよい、わたしの羊は地の全面に散らされた。尋ねる者もなく、捜す者もない。*** この6節の、「わ…

エレミヤ書50章について その8

『新改訳聖書』第3版のエレミヤ書50章5節(その7第2段落)に書かれていることが、エズラ記の時代に捕囚の民がバビロンから帰還したときのことではない、と言えるので、50章4節に書かれていること、すなわち、「その日、その時、・・・イスラエルの…

エレミヤ書50章について その7

「その6」は、「2024-03-05」です。 『新改訳聖書』第3版のエレミヤ書50章4節と5節(いずれも、その6冒頭)に、次のように書かれています。***4節その日、その時、―主の御(み)告げ―イスラエルの民もユダの民も共に来て、泣きながら歩み、その神…