エレミヤ書50章について その11

新改訳聖書』第3版のエレミヤ書50章6節と7節(いずれも、その8前半)に、次のように書かれています。
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6節
わたしの民は、迷った羊の群れであった。その牧者が彼らを迷わせ、山々へ連れ去った。彼らは山から丘へと行(ゆ)き巡って、休み場を忘れてしまった。
7節
彼らを見つける者はみな彼らを食らい、敵は『私たちには罪がない。彼らが、正しい牧場(まきば)である、彼らの先祖の望みであったに、罪を犯したためだ』と言った。
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6節1行目の「・・・牧者・・・」には脚注があり、その脚注は「エゼ三四・二・・・」となっています。

 

エゼキエル書34章2節は、次のようになっています。
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2節
「人の子よ。イスラエルの牧者たちに向かって預言せよ。預言して、彼ら、牧者たちに言え。*神である主はこう仰せられる。ああ。自分を肥やしているイスラエルの牧者たち。牧者は羊を養わなければならないのではないか。

 

* エゼ三四・二、八、十、一一、一五、一七、二〇、三〇、三一「神」の子音字は「

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1行目に、「・・・イスラエルの『牧者たち』に向かって預言せよ。・・・」とあり、2行目に、「・・・彼ら、『牧者たち』に言え。・・・」とあり、また3行目から、「・・・ああ。自分を肥やしているイスラエルの『牧者たち』。牧者は羊を養わなければならないのではないか。」とあります。

 

この「牧者たち」というのは、誰のことであると考えられるでしょうか。

 

エレミヤ書2章8節に、次のように書かれています。
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8節
  祭司たちは、
  『はどこにおられるのか』と言わず、
  律法を取り扱う者たちも、わたしを知らず、
  牧者たちもわたしにそむき、
  預言者たちはバアルによって預言して、
  無益なものに従って行った。
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「牧者たち」(4行目)が、「祭司たち」「律法を取り扱う者たち」「預言者たち」と並列されています。

 

つまり、「牧者たち」が、「祭司たち」「律法を取り扱う者たち」「預言者たち」とは別の者として言われている、ということです。

 

言い換えると、「祭司たち」「律法を取り扱う者たち」「預言者たち」とは別に「牧者たち」がいる、ということです。

 

エレミヤ書32章32節に、次のように書かれています。
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32節
それは、イスラエルの子らとユダの子らが、すなわち彼ら自身と、その王、首長、祭司、預言者が、またユダの人もエルサレムの住民も、わたしの怒りを引き起こすために行った、すべての悪のゆえである。
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1行目から、「・・・すなわち彼ら自身と、その王、首長、祭司、預言者が、・・・」とあります。

 

「その王、首長、祭司、預言者」が一列に並んでいます。

 

ここには、「律法を取り扱う者たち」はありませんが、「祭司」、預言者」とは別に、「王」、「首長」があります。

 

また、「牧者たち」はありませんが、「牧者たち」に当たると思われる「王」、「首長」があります。

 

「牧者たち」というのは、「王」と「首長」、または「王」や「首長」のことではないかと思われますが、いかがでしょうか。

 

「牧者たち」というのは、「王」と「首長」、または「王」や「首長」のことである、と考えることができると思います。

 

その12、に続きます。