『新改訳聖書』第3版のヨハネの黙示録1章7節に、次のように書かれています。
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7節
見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。
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1行目から、「・・・すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。・・・」とあります。
「彼(すなわち、イエス・キリスト)を突き刺した者たち」というのは、誰のことであると考えられるでしょうか。
それは、「大祭司」であり、「律法学者、長老たち」であり、「祭司長たち」であるのではないでしょうか。
彼らはイエスを死刑にしました。
十字架の上のイエスに、直接やりを刺したのは、ローマの兵士です。
ヨハネの福音書19章34節に、次のように書かれています。
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34節
しかし、兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちに血と水が出て来た。
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しかし、このようなことになったのは、「大祭司」や「律法学者、長老たち」、また「祭司長たち」が、イエスを死刑にしたからです。
イエスを死刑にしなければ、イエスが槍で突き刺されることはなかった、と考えられます。
言い換えると、直接やりを刺したのは、ローマの兵士ですが、事実上、「大祭司」や「律法学者、長老たち」、また「祭司長たち」が、イエスを槍で突き刺したも同然である、ということです。
そのような意味で、「彼(すなわち、イエス・キリスト)を突き刺した者たち」(黙示録1章7節、上記冒頭)というのは、「大祭司」や「律法学者、長老たち」、また「祭司長たち」のことであると考えられるのです。
ヨハネの黙示録1章7節(上記冒頭)1行目からの、「・・・すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。・・・」は、「・・・すべての目、ことに『大祭司』『律法学者、長老たち』『祭司長たち』が、彼を見る。・・・」になる、と思います。
マタイの福音書26章64節(その1冒頭)2行目から、「・・・今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」とあります。
「あなたがた」というのは、「大祭司」(マタイ26章57節等)や「律法学者、長老たち」(同章同節)、及び「祭司長たち」(同章59節)のこと、と言うことができると思います。
「あなたがたは見る」(マタイ26章64節)は、「『大祭司』『律法学者、長老たち』『祭司長たち』は見る」、となります。
何を見るのかと言いますと、「人の子が・・・天の『雲に乗って来る』のを」(マタイ26章64節)、です。
それは、ヨハネの黙示録1章7節(上記冒頭)1行目からの、「見よ、彼が、『雲に乗って来られる』。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。・・・」と同じことを言っていると思われます。
そして、ヨハネの黙示録1章5節と6節(いずれも、その1中ほど)の文脈から、7節1行目の『彼』というのは、『イエス・キリスト』のこと、と言うことができると思います。
つまり、マタイの福音書26章64節(その1冒頭)2行目の、『天の雲に乗って来る』と言われている『人の子』というのは、『イエス・キリスト』のことである、ということです。
いかがでしょうか。どのように思われますか。