「雲に乗って来る」について その2

新改訳聖書』第3版のヨハネの黙示録1章7節に、次のように書かれています。
***
7節
見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。
***

 

1行目から、「・・・すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。・・・」とあります。

 

「彼(すなわち、イエス・キリスト)を突き刺した者たち」というのは、誰のことであると考えられるでしょうか。

 

それは、「大祭司」であり、「律法学者、長老たち」であり、「祭司長たち」であるのではないでしょうか。

 

彼らはイエスを死刑にしました。

 

十字架の上のイエスに、直接やりを刺したのは、ローマの兵士です。

 

ヨハネ福音書19章34節に、次のように書かれています。
***
34節
しかし、兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちに血と水が出て来た。
***

 

しかし、このようなことになったのは、「大祭司」や「律法学者、長老たち」、また「祭司長たち」が、イエスを死刑にしたからです。

 

エスを死刑にしなければ、イエスが槍で突き刺されることはなかった、と考えられます。

 

言い換えると、直接やりを刺したのは、ローマの兵士ですが、事実上、「大祭司」や「律法学者、長老たち」、また「祭司長たち」が、イエスを槍で突き刺したも同然である、ということです。

 

そのような意味で、「彼(すなわち、イエス・キリスト)を突き刺した者たち」(黙示録1章7節、上記冒頭)というのは、「大祭司」や「律法学者、長老たち」、また「祭司長たち」のことであると考えられるのです。

 

ヨハネの黙示録1章7節(上記冒頭)1行目からの、「・・・すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。・・・」は、「・・・すべての目、ことに『大祭司』『律法学者、長老たち』『祭司長たち』が、彼を見る。・・・」になる、と思います。

 

マタイの福音書26章64節(その1冒頭)2行目から、「・・・今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」とあります。

 

「あなたがた」というのは、「大祭司」(マタイ26章57節等)や「律法学者、長老たち」(同章同節)、及び「祭司長たち」(同章59節)のこと、と言うことができると思います。

 

「あなたがたは見る」(マタイ26章64節)は、「『大祭司』『律法学者、長老たち』『祭司長たち』は見る」、となります。

 

何を見るのかと言いますと、「人の子が・・・天の『雲に乗って来る』のを」(マタイ26章64節)、です。

 

それは、ヨハネの黙示録1章7節(上記冒頭)1行目からの、「見よ、彼が、『雲に乗って来られる』。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。・・・」と同じことを言っていると思われます。

 

そして、ヨハネの黙示録1章5節と6節(いずれも、その1中ほど)の文脈から、7節1行目の『彼』というのは、『イエス・キリスト』のこと、と言うことができると思います。

 

つまり、マタイの福音書26章64節(その1冒頭)2行目の、『天の雲に乗って来る』と言われている『人の子』というのは、イエス・キリスト』のことである、ということです。

 

いかがでしょうか。どのように思われますか。