2021-01-01から1ヶ月間の記事一覧

「世の終わり」について その17

『新改訳聖書』第3版のルカの福音書17章37節に、次のように書かれています。***17章37節弟子たちは答えて言った。「主よ。どこでですか。」主は言われた。「死体のある所、そこに、はげたかも集まります。」*** また、同章34節と35節に、…

「世の終わり」について その16

『新改訳聖書』第3版のヨハネの黙示録14章20節に、次のように書かれています。***14章20節その酒ぶねは都の外で踏まれたが、血は、その酒ぶねから流れ出て、馬のくつわに届くほどになり、千六百*スタディオンに広がった。 * 一スタディオンは…

「世の終わり」について その15

『新改訳聖書』第3版のヨハネの黙示録14章14節(その14、前半)から19節までに書かれていることは、マタイの福音書13章30節の「収穫」に当たると思われるのですが、いかがでしょうか。 そして、15節と16節に書かれていることは、「麦」につ…

「世の終わり」について その14

『悪いしもべ』は残されて、「今の天と地」が「火に焼かれる」(Ⅱペテ3:7、その6)ときに、「火で焼かれる」(マタイ13:40)のではないか、と思われます。 マタイの福音書24章40節(その13、後半)と41節は、『しもべ』について言われてい…

「世の終わり」について その13

『新改訳聖書』第3版のマタイの福音書25章1節と2節に、次のように書かれています。***1節そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。2節そのうち五人は愚かで、五人は賢かった。*** …

「世の終わり」について その12

『新改訳聖書』第3版のマタイの福音書11章12節に、次のように書かれています。***11章12節バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。*** 2行目から、「…

「世の終わり」について その11

「イエスに仕える者」が「イエス『のような』者」だとすると、それは、「天の御国」のことではないかと思われます。「天の御国」について その1(2021-01-21)、および、その2をご参照ください。 「天の御国」は「海におろしてあらゆる種類の魚を集める地…

「世の終わり」について その10

『新改訳聖書』第3版のマタイの福音書24章48節から50節までに、次のように書かれています。***48節ところが、それが悪いしもべで、『主人は*まだまだ帰るまい』と心の中で思い、 * 直訳「時間がかかる」 49節その仲間を打ちたたき、酒飲みた…

「世の終わり」について その9

『新改訳聖書』第3版のマタイの福音書13章42節(その8、前半)の「・・・彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。」の「彼ら」というのは、同章41節(その8、冒頭)の「つまずきを与える者や不法を行う者たち」のこと、と言うことができます。同章…

「世の終わり」について その8

『新改訳聖書』第3版のマタイの福音書13章41節と42節に、次のように書かれています。***41節人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、*つまずきを与える者や不法を行う者たちをみな、御国から取り集めて、 * あるいは「障害となるもの」 …

「世の終わり」について その7

『新改訳聖書』第3版のマタイの福音書24章37節から41節までに、次のように書かれています。***37節人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。38節洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、め…

「世の終わり」について その6

『新改訳聖書』第3版のペテロの手紙 第二3章6節と7節に、次のように書かれています。***6節当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。7節しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者…

「世の終わり」について その5

『新改訳聖書』第3版のマタイの福音書24章34節と35節に、次のように書かれています。***34節まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この*時代は過ぎ去りません。 * 別訳「世代」 35節この天地は滅び去り…

「世の終わり」について その4

『新改訳聖書』第3版のマタイの福音書13章29節と30節に、次のように書かれています。***29節 だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集める うちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。30節 だから、収穫まで、両方とも育つままにして…

「世の終わり」について その3

「あなたの来られる時」(マタイ24:3)については、『新改訳聖書』第3版のマタイの福音書24章30節と31節に、次のように書かれています。***30節そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の…

「世の終わり」について その2

『新改訳聖書』第3版のマタイの福音書24章27節に書かれていることは、「人の子」が「来る」ときのことであり、また、28節に書かれていることは、「人の子」が「来てから」のことであると思われるので、その27節と28節を別として、同章4節から2…

「世の終わり」について その1

『新改訳聖書』第3版のマタイの福音書24章3節に、次のように書かれています。***24章3節イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの…

「天の御国」について その2

『新改訳聖書』第3版のマタイの福音書13章47節から50節までに、次のように書かれています。***47節また、天の御国は、海におろしてあらゆる種類の魚を集める地引き網のようなものです。48節網がいっぱいになると岸に引き上げ、すわり込んで、…

「天の御国」について その1

『新改訳聖書』第3版のマタイの福音書13章24節に、次のように書かれています。***13章24節イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。 「天の御国は、こういう人にたとえることができま す。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。*** 「…

「さばき」について その6

『新改訳聖書』第3版の詩篇96篇13節に、次のように書かれています。***96篇13節確かに、主は来られる。確かに、地をさばくために来られる。主は、義をもって世界をさばき、その真実をもって国々の民をさばかれる。*** 1行目から、「・・・主…

「さばき」について その5

『新改訳聖書』第3版のヨハネの黙示録11章17節(その4、前半)に、「後(のち)に来られる方」という言葉が無い、ということから、神である主は、すでに「来られ『た』」と考えられます。 ヨハネの黙示録11章17節に続いて、18節に、次のように書…

「さばき」について その4

『新改訳聖書』第3版のヨハネの黙示録11章15節から17節までに、次のように書かれています。***15節第七の御(み)使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声々が起こって言った。 「この世の国は私たちの主およびそのキリストの ものと…

「神の義」について その3

『新改訳聖書』第3版のローマ人への手紙3章21節に、次のように書かれています。***3章21節しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。*** 「・・・『今は』、・・・神の義が示されました。」…

「神の義」について その2

『新改訳聖書』第3版のローマ人への手紙3章25節と26節に、次のように書かれています。***25節神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、*なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。と…

「神の義」について その1

『新改訳聖書』第3版のローマ人への手紙3章21節に、次のように書かれています。***3章21節しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。*** 1行目から、「しかし、『今は』、・・・神の義が示…

「さばき」について その3

『新改訳聖書』第3版のローマ人への手紙2章8節と9節に、次のように書かれています。***8節党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。9節患難と苦悩とは、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、悪を行うすべての者…

「さばき」について その2

『新改訳聖書』第3版のローマ人への手紙2章5節に、次のように書かれています。***2章5節ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現れる日の御怒りを自分のために積み上げているのです…

「さばき」について その1

『新改訳聖書』第3版のヨハネの黙示録11章18節に、次のように書かれています。***11章18節諸国の民は怒りました。しかし、あなたの御怒り*の日が来ました。死者のさばかれる時、あなたのしもべである預言者たち、聖徒たち、また小さい者も大き…