「世の終わり」について その11

「イエスに仕える者」が「イエス『のような』者」だとすると、それは、「天の御国」のことではないかと思われます。「天の御国」について その1(2021-01-21)、および、その2をご参照ください。

 

「天の御国」は「海におろしてあらゆる種類の魚を集める地引き網」(マタイ13:47)にたとえられています。その「網」には、「良いもの」も「悪いもの」も入っています。

 

「天の御国」にも、「良いもの」と「悪いもの」がある、と言うことができると思います。それが、「忠実な賢い『しもべ』」(24章45節)と「悪い『しもべ』」(同章48節)ではないでしょうか。

 

24章51節で「彼」すなわち「悪い『しもべ』」が、『偽善者たち』とは別の者として語られている(その9)のは、『偽善者たち』は信仰に入らない者であるのに対して、『しもべ』は、良いしもべであるにせよ、悪いしもべであるにせよ、信仰に入った者であるからだと思われます。

 

「悪い『しもべ』」は、『御国から』取られて、火の燃える炉に投げ込まれるので、「泣いて歯ぎしりする」のではないでしょうか。マタイの福音書13章41節(その8、冒頭)と42節をご参照ください。

 

「泣いて歯ぎしりする」のは、「悪い『しもべ』」は『御国』にいられると思い込んでいる、からではないでしょうか。

 

マタイの福音書13章41節では、「つまずきを与える者や不法を行う者たち」が取り集められて、火の燃える炉に投げ込まれます。これらの者たちは、『偽善者たち』ではなく、『悪いしもべ』である、と言うことができます。

 

なぜなら、『偽善者たち』は信仰に入っているとは考えられないので、『御国』に入ることはなく、したがって、『御国から』取られることは無い、と言うことができるからです。

 

もし『偽善者たち』が『御国』に入ることがあるとすると、それは、彼らがさばきを受け、刑罰を受けてからだと思われます。

 

マタイの福音書13章41節の、「つまずきを与える者や不法を行う者たち」というのは、『悪いしもべ』のことである、と考えられます。

 

その12、に続きます。