「世の終わり」について その9

新改訳聖書』第3版のマタイの福音書13章42節(その8、前半)の「・・・彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。」の「彼ら」というのは、同章41節(その8、冒頭)の「つまずきを与える者や不法を行う者たち」のこと、と言うことができます。同章42節には、この者たちは「火の燃える炉に投げ込」まれて、「そこで泣いて歯ぎしりするのです。」と書かれています。

 

一方、マタイの福音書24章50節(その8、後半)から51節にかけて、「そのしもべの主人は、・・・彼をきびしく罰して、その報いを偽善者たちと同じにするに違いありません。しもべはそこで泣いて歯ぎしりするのです。」とあります。

 

「・・・彼をきびしく罰して、その報いを『偽善者たち』と同じにするに違いありません」、とあります。「彼」というのは、48節(その8、中ほど)の「・・・悪いしもべ・・・」のこと、と言うことができると思います。

 

24章51節では、「彼」すなわち「悪いしもべ」(48節)は、『偽善者たち』とは別の者として語られています。「その報いを偽善者たちと同じにする」(51節)、ということは、『偽善者たち』に「その報い」がもたらされるが、『悪いしもべ』にも「その報い」がもたらされる、ということです。

 

なぜでしょうか。なぜ、別の者として語られているのでしょうか。それは、24章48節から51節までに語られているのが、『しもべ』だからではないでしょうか。

 

その10、に続きます。