「神の義」について その3

新改訳聖書』第3版のローマ人への手紙3章21節に、次のように書かれています。
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3章21節
しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。
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「・・・『今は』、・・・神の義が示されました。」とあります。

 

同じ手紙の3章25節(その2、冒頭)と26節に、神は、神の義を現すために、キリスト・イエスを、なだめの供え物として、公にお示しになった、ということが書かれています。

 

そして、同章21節(上記)には、『今は』、その神の義が示されました、と書かれています。

 

つまり、神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物とされたことによって、「『今は』、・・・神の義が示されました」、というようになると思います。

 

そうだとすると、神は、『キリスト・イエスの時代』に、『神の義』を示された、ということになります。

 

言い換えると、「キリスト・イエスより『前』」に、『神の義』が示されることは無かった、と言うことができると思います。

 

わたしは以前、「義」について その3(2020-12-02)、の最後から二つ目の段落で、
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つまり、アブラハムの時代には、「『神の』義」は示されていなかった、ということです。
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と述べました。

 

「キリスト・イエスより『前』」に、『神の義』が示されることは無かったとすると、アブラハムの時代に、『神の義』が示されることは無かった、ということになります。

 

つまり、アブラハムの時代には、「『神の』義」は示されていなかった、ということです。

 

いかがでしょうか。どのように思われますか。