『新改訳聖書』第3版のヨハネの黙示録11章15節から17節までに、次のように書かれています。
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15節
第七の御(み)使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声々が起こって言った。
「この世の国は私たちの主およびそのキリストの
ものとなった。主は永遠に支配される。」
16節
それから、神の御(み)前で自分たちの座に着いている二十四人の長老たちも、地にひれ伏し、神を礼拝して、
17節
言った。
「万物の支配者、今いまし、昔います神である主。
あなたが、その偉大な力を働かせて、*王となられたこ とを感謝します。
* 直訳「治められた」
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17節1行目に、「・・・今いまし、昔います神である主。・・・」とあります。
ヨハネの黙示録1章4節に、次のように書かれています。
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1章4節
ヨハネから、アジヤにある七つの教会へ。今いまし、昔いまし、後(のち)に来られる方から、また、その御座(みざ)の前におられる七つの御霊(みたま)から、
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1行目から、「・・・今いまし、昔いまし、後(のち)に来られる方・・・」とあります。ここには、「後(のち)に来られる方」という言葉があります。
また、ヨハネの黙示録1章8節には、次のように書かれています。
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1章8節
神である主、今いまし、昔いまし、後(のち)に来られる方、万物の支配者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」
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1行目から、「・・・今いまし、昔いまし、後(のち)に来られる方・・・」とあります。ここにも、「後(のち)に来られる方」という言葉があります。
これに対して、ヨハネの黙示録11章17節(上記、前半)1行目には、「・・・今いまし、昔います神である主。・・・」とあり、「後(のち)に来られる方」という言葉がありません。
なぜでしょうか。それは、「来られ『た』」からではないでしょうか。この時点ですでに「来られ『た』」ので、「後(のち)に来られる方」という言葉は無い、と考えられます。
その5、に続きます。