「人の子」について その7

新改訳聖書』第3版のヨハネの黙示録1章7節に、次のように書かれています。
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7節
見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。
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1行目に、「見よ、『彼』が、雲に乗って来られる。・・・」とあります。

 

『彼』というのは、1章5節第二文からの文脈より、『イエス・キリスト』のこと、ということができると思います。

 

ヨハネの黙示録1章5節から7節までは、次のようになっています。
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5節
また、忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安が、あなたがたにあるように。イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、
6節
また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。
7節
見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。
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5節第二文は、「イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、(6節)また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。」です。

 

この第二文からの文脈より、7節の『彼』というのは、『イエス・キリスト』のことと考えられます。

 

1章7節1行目の、「見よ、『彼』が、雲に乗って来られる。・・・」は、「見よ、『イエス・キリスト』が、雲に乗って来られる。・・・」となります。

 

マタイの福音書24章30節(その6前半)に、次のように書かれています。
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30節
そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。
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2行目から、「・・・人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて『天の雲に乗って来る』のを見るのです。」とあります。

 

ヨハネの黙示録1章7節(上記冒頭)に、「見よ、彼が、『雲に乗って来られる』。・・・」とあります。

 

マタイの福音書24章30節の、「・・・人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて『天の雲に乗って来る』・・・」と、ヨハネの黙示録1章7節(上記冒頭)の、「見よ、彼が、『雲に乗って来られる』・・・」は、同じときのことを言っていると思われます。

 

それは、マタイの福音書24章30節1行目からの、「・・・地上のあらゆる種族は、『悲しみながら』、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。」と、ヨハネの黙示録1章7節(上記冒頭)の、「・・・彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに『嘆く』。」とが、同じときのことを言っていると思われることからも言えると思います。

 

「地上のあらゆる種族は、『悲しみながら』」(マタイ)と、「地上の諸族はみな・・・『嘆く』」(黙示録)は、同じことを言っていると思われます。

 

それらが同じときのことだとすると、『人の子』(マタイ)は、『彼』(黙示録)に当たる、ということになります。

 

その8、に続きます。