「さばき」について その5

新改訳聖書』第3版のヨハネの黙示録11章17節(その4、前半)に、「後(のち)に来られる方」という言葉が無い、ということから、神である主は、すでに「来られ『た』」と考えられます。

 

ヨハネの黙示録11章17節に続いて、18節に、次のように書かれています。
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11章18節
 諸国の民は怒りました。しかし、あなたの御怒り*
 の日が来ました。死者のさばかれる時、あなたのし
 もべである預言者たち、聖徒たち、また小さい者も
 大きい者もすべてあなたの御名を恐れかしこむ者た
 ちに報いの与えられる時、また、地を滅ぼす者ども
 の滅ぼされる時です。」

 

* 「の日」は補足

 

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2行目から、「・・・死者のさばかれる時・・・です。」とあります。

 

17節で、神である主は「来られ『た』」、と考えられ、18節の時点以降で、死者がさばかれる、と考えられます。

 

死者がさばかれるのは、神である主が『来られた』とき、もしくは『来られてから』である、ということになると思われます。

 

言い換えると、神である主が『来られた』とき、もしくは『来られてから』、死者はさばかれる、と考えられます。

 

このように考えてよいと思われますか。いかがでしょうか。