「さばき」について その6

新改訳聖書』第3版の詩篇96篇13節に、次のように書かれています。
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96篇13節
確かに、主は来られる。
確かに、地をさばくために来られる。
主は、義をもって世界をさばき、
その真実をもって国々の民をさばかれる。
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1行目から、「・・・主は来られる。・・・地をさばくために来られる。・・・」とあります。

 

また、詩篇98篇9節に、次のように書かれています。
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98篇9節
確かに、主は地をさばくために来られる。
主は義をもって世界をさばき、
公正をもって国々の民を、さばかれる。
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1行目に、詩篇96篇13節(上記)1行目からの、「・・・主は『来られる』。・・・地をさばくために『来られる』・・・」と同じように、「・・・主は地をさばくために『来られる』・・・」と書かれています。

 

主は地をさばくために来られて、「世界をさばき」、「国々の民をさばかれる」、のではないかと思われます。

 

これらのことから、主がさばかれるのは、『来られた』とき、もしくは、『来られてから』である、のではないでしょうか。

 

詩篇のこれらの節に書かれているさばきは、ヨハネの黙示録1章18節の「・・・死者のさばかれる時・・・です。」の「死者のさばかれる時」と同じときのことではないかと思われますが、いかがでしょうか。

 

詩篇の場合も、ヨハネの黙示録の場合も、主がさばかれるのは、『来られた』とき、もしくは、『来られてから』のことである、と言うことができるからです。(ヨハネの黙示録の場合については、「その4」と「その5」をご参照ください。)

 

どのように思われるでしょうか。