「神の義」について その2

新改訳聖書』第3版のローマ人への手紙3章25節と26節に、次のように書かれています。
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25節
神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、*なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。

 

* あるいは「なだめる物」

 

26節
それは、今の時にご自身の義を現すためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。
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25節1行目から、「神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。・・・」とあります。

 

「それは」の「それ」というのは、「神(は)が、キリスト・エスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しにな」ったこと、と言うことができると思います。

 

そうすると、「それは」以下は、「神(は)が、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しにな」ったのは、「ご自身の義を現すためです。・・・」となります。

 

「ご自身の義」というのは、「ご自身」というのが「神」のことであるので、「神の義」のこと、と言うことができます。

 

「ご自身の義」、すなわち「神の義」を現すために、神は、「キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しにな」った、という文脈になります。

 

言い換えると、神は、神の義を現すために、キリスト・イエスを、なだめの供え物として、公にお示しになった、となります。

 

その3、に続きます。