『新改訳聖書』第3版のピリピ人への手紙2章6節から8節までに、次のように書かれています。
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6節
キリストは神の御姿(みすがた)である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、
7節
ご自分を*無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、
* すなわち「特権を主張されずに」
8節
自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。
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6節から7節にかけて、「(6節)キリストは・・・(7節)・・・人間と同じようになられました。・・・」とあり、また、7節から8節にかけて、「(7節)・・・人としての性質をもって現れ(8節)・・・ました。」とあります。
ヨハネの福音書1章14節(その1前半)の、「ことばは*人(別訳、肉)となって、私たちの間に住まわれた・・・」と似たようなことが書かれています。
このことからも、『ことば』は、神とともにおられたときには『神であった』が、『地では神ではない』、と言うことができるのではないでしょうか。
ヨハネの福音書17章3節に、次のように書かれています。
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3節
その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。
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1行目から、「・・・『唯一の』まことの神であるあなた・・・」とあります。
3節のことばは、17章1節より、イエスが言われたことばであり、「父」に語りかけていることばである、ということが分かります。
ヨハネの福音書17章1節は、次のようになっています。
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1節
イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すために、子の栄光を現してください。
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イエスは『父』に語りかけて、「『唯一の』まことの神であるあなた」、と言われているのです。
したがって「あなた」は、『父』を指している、と言うことができます。
つまり、「『唯一の』まことの神であるあなた」というのは、『父』のことである、ということです。
イエスが『父』のことを『唯一の』神と言われているのは、イエスご自身は、『人』であり、肉を持った『人』であるからだと考えられます。
「ことばは*人(別訳、肉)となって、私たちの間に住まわれ」(ヨハネ1:14、その1前半)、イエスという名を与えられ、「神のあり方を捨てられ」(ピリピ2:6、上記冒頭)た、ということだと思います。
だからイエスは、『父』を「『唯一の』まことの神であるあなた」、と言われたのだと思われます。
その3、に続きます。