『新改訳聖書』第3版のヨハネの福音書1章1節と2節に、次のように書かれています。
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1節
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
2節
この方は、初めに神とともにおられた。
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1節1行目に、「・・・ことばは神とともにあった。・・・」とあります。
この場合、『神』は『父』であり、『ことば』は『子』であると考えられます。
それ以外は考えられないと思います。
1節1行目から、「・・・ことばは神で『あった』。」とあります。
ヨハネの福音書1章14節に、次のように書かれています。
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14節
ことばは*人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての**栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
* 別訳「肉」
** 別訳「……栄光で、恵みとまことに満ちていた」
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1行目に、「ことばは*人(別訳、肉)となって、私たちの間に住まわれた。・・・」とあります。
続けて、「私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての**栄光である。・・・」とあります。
「この方」というのは、「ことば」のこと、と言うことができます。
「この方の栄光」というのは、「ことばの栄光」のこととなります。
そして、この「ことばの栄光」というのは、「父のみもとから来られたひとり子としての**栄光」のこと、となります。
つまり、「ことば」は「ひとり子」である、ということです。
したがって、『ことば』は『子』であると考えられるのです。
14節(上記)1行目に、「ことばは*『人』(別訳、『肉』)となって、私たちの間に住まわれた。・・・」とあります。
このことから、「神であった」(上記冒頭1章1節)『ことば』は、『人』または『肉』になられた、と言うことができます。
つまり、『ことば』は『人』または『肉』になられたので、もはや神ではない、ということです。
「私たちの間に住まわれた」というのは、つまり、「地上で生活された」、ということである、と言うことができると思います。
『ことば』は、『地では』、『人』または『肉』であり、神ではない、と言うことができると思います。
つまり、『ことば』は、神とともにおられたときには『神であった』が、『地では神ではない』、ということです。
その2、に続きます。