「大水」について その2

新改訳聖書』第3版の詩篇69篇9節(その1冒頭)に、次のように書かれています。
***
9節
それは、あなたの家を思う熱心が私を食い尽くし、
あなたをそしる人々のそしりが、
私に降りかかったからです。
***

 

「あなた」というのは、「神」のことと言うことができると思います。「その1」をご参照ください。

 

1行目からの、「・・・あなたの家を思う熱心が私を食い尽くし・・・た・・・」というのは、ヨハネ福音書2章17節(その1後半)の、「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす」のことである、と言うことができると思います。

 

そうすると、詩篇の「私」は、ヨハネ福音書の「わたし」に当たる、と言うことができます。

 

ヨハネ福音書の「わたし」というのは、誰のことでしょうか。

 

「あなたの家を思う熱心」は、誰を「食い尽く」したのでしょうか。

 

それは、「イエス」ではないでしょうか。

 

「あなたの家を思う熱心」が『イエス』を「食い尽く」したので、イエスは、ヨハネ福音書2章15節と16節(いずれも、その1後半)に書かれていることをなさった、ということだと思います。

 

ヨハネ福音書の「わたし」というのが『イエス』のことだとすると、詩篇の「私」というのは、「イエス」のこととなります。

 

詩篇69篇9節(その1冒頭)の「私」というのは、誰のことであると考えられるのかと言いますと、それは『イエス』のことである、となります。

 

次に、『新改訳聖書』第3版の詩篇69篇9節(上記冒頭)2行目から、「あなたをそしる人々のそしりが、私に降りかかった・・・」とあります。

 

「あなた」というのは、詩篇69篇5節と6節(いずれも、その1前半)の記述より、「神」のこと、と言うことができます。

 

「あなたをそしる人々のそしり」(69篇9節、上記冒頭)は、「『神』をそしる人々のそしり」、となり、その「そしりが、私に降りかかった」、となります。

 

「私」というのは、上で述べたように、「イエス」のことと言うことができます。

 

ローマ人への手紙15章3節に、次のように書かれています。
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キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。むしろ、「あなたをそしる人々のそしりは、わたしの上にふりかかった」と書いてあるとおりです。
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ローマ人への手紙15章3節のこの記述から、「わたし」というのは、「キリスト」のこと、と言うことができると思います。

 

詩篇69篇9節(上記冒頭)の、「あなたをそしる人々のそしりが、私に降りかかった」というのは、このローマ人への手紙15章3節の、「あなたをそしる人々のそしりは、わたしの上にふりかかった」のことである、と言うことができると思います。

 

そうだとすると、詩篇69篇9節の「私」というのは、「キリスト」のこと、ということになります。

 

以上述べて来たように、詩篇69篇9節の「私」というのは、ヨハネ福音書2章13節から17節までの記述、およびローマ人への手紙15章3節の記述から、「イエス」または「キリスト」のことと考えられます。

 

その3、に続きます。