「墓」について その7

新改訳聖書』第3版の詩篇16篇10節(その5、前半)に書かれていることは、「あなたは、私(すなわち、イエス)のたましいをよみに捨て」ましたが、「よみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。」ということである、と言うことができると思います。

 

この中の「あなたの聖徒」というのが誰であるのかについては、わたしの記事、「聖徒」について その1(2020-11-10)、から、その3、までをご参照ください。その記事の中でわたしは、「あなたの聖徒」というのは、「イエス」のことである、と述べています。

 

「あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません」、というのは、「イエスに墓の穴をお見せにはなりません」、ということになります。ただしこの場合、「イエスに」というのは、「イエスのたましいに」、ということになる、と言うことができると思います。

 

詩篇16篇10節(その5、前半)の記述より、「私(すなわち、イエス)のたましい」は「よみ」に捨てられた、ということが分かります。「よみ」に捨てられたので、「私(すなわち、エス)のたましい」は「よみ」にある、と考えられます。「三日目」までは、です。

 

もし、「よみ」に捨てられたままであるとすると、「あなたの聖徒に墓の穴をお見せに」『なる』、ということになるのではないでしょうか。しかし、「三日目」にイエスはよみがえらせられたので、「たましい」は「よみ」から離れ、「墓の穴を」見ることはなかった、という文脈になると思います。

 

エゼキエル書32章22節と23節(その2、前半)に、「墓」についての記述があります。23節に、その「墓」は「穴の奥のほうにあ」る、と書かれています。そしてこの「穴」は、『よみの中』にある、と考えられます。この「穴」については、「穴」について(2020-12-11)、というわたしの記事をご参照ください。

 

イザヤ書53章9節(その4、冒頭)1行目の「彼の墓・・・」というのを、エゼキエル書32章22節と23節に書かれているような「墓」であると考えるなら、イザヤ書の「墓」についての記述は、少しは理解できるのではないか、と思いますが、いかがでしょうか。

 

どういうことかと言いますと、まず、「彼の墓は悪者どもとともに設けられ・・・た」(イザヤ53:9)、とあります。もイザヤ書の「彼(すなわち、イエス)の墓」が、エゼキエル書32章22節と23節に書かれているような「墓」だとすると、イエスの墓は、「勇敢な勇士たち」のような者たちの墓とともに設けられるのではないか、と考えられます。

 

「勇敢な勇士たち」というのは、「よみ」に下った者たちです。「よみ」に下った者というのは、どのような者でしょうか。

 

その8、に続きます。