『新改訳聖書』第3版のテトスへの手紙3章7節に、次のように書かれています。
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3章7節
それは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ、*永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです。
* あるいは「望みどおりに永遠のいのちの相続人となる」
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1行目から、「それは、私たちが・・・相続人となるためです。」とあります。「それは」の「それ」というのは、6節に書かれていること、と言うことができると思います。6節は、次のようになっています。
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3章6節
神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。
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「それ」というのは、「神(は)が、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださった」こと、と言うことができると思います。
そうすると、「神が、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのは、私たちが・・・相続人となるためです。」となります。言い換えると、私たちが相続人となるために、神はこの聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです、となります。
このことから、私たちが相続人となるためには、聖霊が注がれなければならない、と言うことができると思います。
また、「私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです。」とあります。これは、「私たちがキリストの恵みによって義と認められ・・・て、相続人となるためです。」と、「私たちが・・・永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです。」と読むことができると思います。
そうすると、「相続人となるため」には、「キリストの恵みによって義と認められ」なければならない、ということになると思います。
また、「私たちが・・・『永遠のいのちの望みによって』、相続人となるためです」(7節)の『永遠のいのちの望みによって』、というのは、『朽ちないからだになるという望みによって』、ということではないか、と思われるのですが、いかがでしょうか。
3章6節と7節に書かれていることをまとめると、「神が、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです。」というようになります。
そうすると、「私たち」が相続人となるためには、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、「私たち」に聖霊が豊かに注がれなければならない、ということになると思います。
その2、に続きます。