「聖徒」について その2

新改訳聖書』第3版の使徒の働き2章25節に、次のように書かれています。
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2章25節
ダビデはこの方について、こう言っています。
 『私はいつも、自分の目の前に主を見ていた。
 主は、私が動かされないように、
 私の右におられるからである。
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1行目の「・・・この方・・・」というのは、24節の「この方」のことであり、それは、23節の「・・・神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方・・・」のことである、と言うことができると思います。

 

そしてそれは、「あなたがた」は「この方」を、「不法な者の手によって十字架につけて殺しました。」(使徒の働き2:23)という言葉から、「イエス」のことである、ということが分かります。

 

つまり、使徒の働き2章25節1行目の「この方」というのは、「イエス」のことである、ということです。

 

次に、2行目以降の「私」ですが、これは誰でしょうか。

 

この「私」は、26節の「私」でもあり、27節の「私」でもある、と言うことができると思います。

 

使徒の働き2章29節から31節までに、次のように書かれています。
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29節
兄弟たち。父祖ダビデについては、私はあなたがたに、確信をもって言うことができます。彼は死んで葬られ、その墓は今日まで私たちのところにあります。
30節
彼は預言者でしたから、神が彼の子孫のひとりを彼の王位に着かせると誓って言われたことを知っていたのです。
31節
それで後(のち)のことを予見して、キリストの復活について、『彼はハデスに捨てて置かれず、その肉体は朽ち果てない』と語ったのです。
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29節と30節の「彼」というのは、「父祖ダビデ」のことです。31節の「・・・予見して・・・語ったのです。」の主語はありませんが、それは、30節の「彼は」である、と言うことができると思います。つまり、「彼は・・・予見して・・・語ったのです。」となります。「彼」というのは、「父祖ダビデ」のことです。「父祖ダビデは・・・予見して・・・語ったのです。」となります。

 

31節は、父祖ダビデは、「・・・キリストの復活について、『彼はハデスに捨てて置かれず、その肉体は朽ち果てない』と語ったのです。」ということになります。

 

この二重カギ(『』)の中の「彼」というのは誰でしょうか。

 

父祖ダビデは、「・・・キリストの復活について、『彼はハデスに捨てて置かれず、・・・』と語ったのです。」とあるので、「彼」というのは「キリスト」のことを指している、と読むことができると思います。そしてこれは、32節で「このイエスと言われている「キリスト」のことである、と言うことができると思います。

 

つまり、31節の二重カギ(『』)の中の「彼」というのは、32節で「このイエス」と言われている「キリスト」のことである、ということです。

 

そうすると、31節の該当箇所は、『キリスト(彼)はハデスに捨てて置かれず、その肉体は朽ち果てない』、となります。

 

その3、に続きます。