『新改訳聖書』第3版のヨハネの福音書8章51節(その4、前半)に、「・・・だれでもわたしのことばを守るならば、その人は決して死を見ることがありません。」とあります。
イエスは、そのたましいがハデスに捨てられ(使徒2:27)、『死に渡され』(ローマ4:25)た、と言うことができると思います。
そして、ハデスにある「地下の国」におられたときに、「死の苦しみ」、すなわち、「死の陣痛」を『味わわれた』、と思われます。
つまり、「死の苦しみ」(使徒2:24、「その6」前半)、すなわち、「死の陣痛」があったのは、『地下の国』でのことではないか、ということです。
「地下の国」については、「地下の国」について その1(2021-07-08)から「その3」までをご参照ください。
使徒の働き2章24節(その6、前半)の「・・・神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました」、というのは、神は、イエスを『地下の国』から引き上げられた、ということではないかと思われるのです。
また、「この方が死につながれている」(使徒2:24、「その6」前半)、というのは、イエスが『地下の国』にずっといる、ということではないかと思われるのです。
また、「この方が死につながれていることなど、ありえない」(使徒2:24、その6前半)というのは、イエスは『地下の国』から引き上げられて、すなわち、よみがえられて、『生きる』方となられる、ということではないでしょうか。
そして、イエスがよみがえられて『生きる』方となられるので、イエスの「ことばを守るならば、その人は決して死を見ることがありません」(ヨハネ8:51)、すなわち、その人は『生きる』者となる、ということではないでしょうか。
その12、に続きます。