「死刑」について その6

新改訳聖書』第3版のペテロの手紙 第一2章22節に、次のように書かれています。
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22節
キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
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1行目に、「キリストは罪を犯したことがなく、・・・」とあります。

 

キリストは罪を犯したことがない、ということが言われています。

 

また、コリント人への手紙 第二5章21節に、次のように書かれています。
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21節
神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。
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1行目から、「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。・・・」とあります。

 

「罪を知らない方」というのは、5章14節からの文脈より、「キリスト」のこと、と言うことができると思います。

 

「キリスト」は「罪を知らない方」である、と言うことができると思います。

 

「キリストは罪を犯したことがな」(Ⅰペテ2:22、上記冒頭)いのですが、「私たちの代わりに罪とされ・・・た」(Ⅱコリ5:21、上記)、ということになります。

 

ヘブル人への手紙4章15節に、次のように書かれています。
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15節
私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
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1行目から、「私たちの大祭司は、・・・罪は犯されませんでした・・・」とあります。

 

「私たちの大祭司」とは、誰でしょうか。

 

ヘブル人への手紙3章1節に、次のように書かれています。
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1節
そういうわけですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。私たちの告白する信仰の使徒であり、大祭司であるイエスのことを考えなさい。
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2行目から3行目にかけて、「・・・大祭司であるイエスのことを考えなさい。」とあります。

 

『大祭司であるイエス』という言葉から、『イエス』は『大祭司』である、と言うことができます。

 

ヘブル人への手紙4章15節(上記)の、「私たちの『大祭司』」も、『イエス』と考えてよいと思います。

 

「私たちの大祭司は、・・・罪は犯されませんでした・・・」は、「『イエス』は、・・・罪は犯されませんでした・・・」、となります。

 

このように聖書では、『イエス』または『キリスト』は、罪を犯されなかった、ということが言われています。

 

その7、に続きます。