「世の終わり」について その2

新改訳聖書』第3版のマタイの福音書24章27節に書かれていることは、「人の子」が「来る」ときのことであり、また、28節に書かれていることは、「人の子」が「来てから」のことであると思われるので、その27節と28節を別として、同章4節から29節までに書かれていることが、「あなたの来られる時や世の終わり」の『前兆』である、と言うことができると思います。

 

24章30節(その1、後半)に、「・・・人の子が・・・来るのを見るのです。」とあるので、このときが「あなたの来られる時」である、と言うことができます。

 

それ以降、すなわち、30節から51節までは、「あなたの来られる時や世の終わり」のことについて書かれていると思われます。

 

「あなたの来られる時」については、例えば、24章37節から39節までに、次のように書かれています。
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37節
人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。
38節
洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。
39節
そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。
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39節に、「・・・人の子が来るのも、そのとおりです。」とあります。「そのとおりです」というのは、どういうことでしょうか。

 

それは、「(38節)洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。(39節)そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです」、ということです。

 

「ノアの日」の場合は、「洪水」がすべての物をさらいました。

 

「ノアの日」のことについては、ルカの福音書17章26節と27節にも書かれています。次のようになっています。
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26節
人の子の日に起こることは、ちょうど、ノアの日に起こったことと同様です。
27節
ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。
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27節2行目から、「・・・洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。」とあります。

 

「人の子が来るのも、そのとおりです」(マタイ24:39)、というのは、人の子が来るときも、「人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしてい」るということ、また、人の子が来るまで「彼らはわからな」い、ということであると考えられます。

 

その3、に続きます。