「前兆」について その1

新改訳聖書』第3版のマタイの福音書24章1節から3節までに、次のように書かれています。
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1節
エスが宮を出て行(い)かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに宮の建物をさし示した。
2節
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」
3節
エスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話ください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」
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3節3行目から、「・・・あなたの来られる時や世の終わりには、どんな『前兆』があるのでしょう。」とあります。

 

弟子たちがこのように尋ねたとき、イエスはそれに対して答えられました。それが、24章4節から25章46節までに書かれています。

 

その中の、24章30節に、次のように書かれています。
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30節
そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。
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2行目から、「・・・人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。」とあります。

 

「・・・人の子が・・・来るのを見るのです。」とあります。

 

この、「人の子が来る」というのは、24章3節(上記冒頭)の、「・・・あなたの来られる・・・」に当たる、と言うことができると思います。

 

30節(上記)で、「人の子が・・・来る」ということが言われているので、「あなたの来られる時」(3節、上記冒頭)の『前兆』は、30節より前の節に書かれている、と考えられます。

 

弟子たちに、『前兆』について尋ねられたので、イエスが答えられたことの中には、当然のことながら、『前兆』についてのことはある、と言うことができると思います。

 

その2、に続きます。