「前兆」について その2

新改訳聖書』第3版のマタイの福音書24章30節(その1、後半)で、「人の子が・・・来る」、ということが言われています。

 

これは、24章3節(その1冒頭)の、「・・・あなたの来られる・・・」に当たる、と言うことができると思います。

 

「人の子が・・・来る」(マタイ24:30、その1後半)が「あなたの来られる」(同24:3、その1冒頭)に当たるとすると、「あなたの来られる時」(同24:3)の『前兆』は、30節より前の節に書かれている、と考えられます。

 

その、30節より前の節のうち、27節に書かれていることは、「人の子の来る」ときのことなので、『前兆』のときのことではない、と言うことができると思います。

 

新改訳聖書』第3版のマタイの福音書24章27節は、次のようになっています。
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27節
人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。
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「人の子の来る」ときのことが書かれている、と言うことができると思います。つまり、『前兆』のときのことではない、ということです。

 

また同書24章28節も、『前兆』のときのことではない、と思われます。

 

マタイの福音書24章28節は、次のようになっています。
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28節
死体のある所には、はげたかが集まります。
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27節からの流れからすると、この28節は、「人の子の来る」ときのことについて言われている、と考えられます。

 

これについては、ルカの福音書17章の記述が参考になります。

 

その3、に続きます。