「前兆」について その4

新改訳聖書』第3版のマタイの福音書24章4節から12節までに、次のように書かれています。
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4節
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。
5節
わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。
6節
また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。
7節
民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。
8節
しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。
9節
そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。
10節
また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。
11節
また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。
12節
不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。
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4節1行目に、「そこで、イエスは彼らに答えて言われた。・・・」とあります。

 

これは、3節(その1冒頭)で、「彼ら」すなわち「弟子たち」が、「・・・いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」と尋ねたことに対するものです。

 

したがって4節以降は、その『前兆』について書かれている、と言うことができると思います。

 

8節に、「・・・そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。」とあります。

 

「そのようなこと」というのは、5節から7節までに書かれていること、と言うことができると思います。

 

そうだとすると、5節から7節までに書かれていることが「産みの苦しみの『初め』」である、ということになります。

 

9節冒頭に、「そのとき、・・・」とあります。

 

「そのとき」というのは、「産みの苦しみの『初め』」のときのこと、と考えられます。

 

10節にも、「そのとき」という言葉があります。

 

つまり、9節と10節に書かれていることも、「産みの苦しみの『初め』」のときのこと、ということです。

 

そしてそれは、11節と12節についても言えると思います。つまり、11節と12節に書かれていることも、「産みの苦しみの『初め』」のときのことである、ということです。

 

以上述べたように、「産みの苦しみの『初め』」というのは、マタイの福音書24章5節から7節までに書かれていること、9節と10節に書かれていること、及び、11節と12節に書かれていること、と考えることができると思います。

 

では、『産みの苦しみ』については、どうでしょうか。

 

その5、に続きます。