「死」について その8

新改訳聖書』第3版の使徒の働き2章24節(その6、前半)の、「死の*苦しみ」の「苦しみ」には脚注があり、その「苦しみ」の直訳は「陣痛」である、ということが分かります。

 

つまり、2章24節の「死の*苦しみ」は、「死の陣痛」である、ということです。

 

「陣痛」という言葉が用いられています。「陣痛」は「産みの苦しみ」です。

 

「陣痛」という言葉が用いられていることに、何か意味はあるのでしょうか。

 

「陣痛」という言葉が用いられていることからすると、その死の「苦しみ」は、「産まれる」、あるいは、「産む」ということに関係があるのではないかと思われます。

 

ネストレ・アーラントのギリシャ語では、多少読み方は違うかもしれませんが、「オーディーナス」という言葉が用いられています。

 

「オーディーナス」というのは、「オーディン」の複数・対格です。

 

『増補・改訂 新約ギリシヤ語辞典』(岩隈 直著)に、「オーディン」の意味として、「陣痛、産みの苦しみ」ということが書かれたあとに、「・・・死をメシヤを胎内に留めておく事ができずに産もうとしている女に譬えて・・・」とあります。

 

「死をメシヤを・・・産もうとしている女に譬えて」、とあります。

 

「死」が「メシヤを・・・産もうとしている女」にたとえられている、という考え方が示されています。

 

「胎内」というのは、「死」という女の「胎内」のこと、と言うことができます。

 

「胎内に留めておく事ができずに」というのは、「死につながれていることなど、ありえない」(使徒2:24)、ということに当たると思います。

 

上記『増補・改訂 新約ギリシヤ語辞典』に示されている考え方は、「死」という女がメシヤを産む、というものです。

 

この考え方からすると、「死」という女の「胎内」にメシヤはいる、ということになります。

 

言い換えると、メシヤは「死」から産まれる、ということです。

 

「死の陣痛」というのは、「死」がメシヤを産もうとして苦しんでいる、ということではないでしょうか。

 

そしてこの「死」というのは、「地下の国」のことではないか、と思いますが、いかがでしょうか。

 

「地下の国」については、「地下の国」について その1(2021-07-08)から「その3」までをご参照ください。

 

キリストはハデスに捨てられ(2021-08-18の「その7」をご参照ください)、「死」という「地下の国」から「産まれる」のではないか、と思いますが、いかがでしょうか。

 

その9、に続きます。