「罪」について その1

新改訳聖書』第3版のエゼキエル書37章23節に、次のように書かれています。
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37章23節
彼らは二度と、その偶像や忌まわしいもの、またあらゆるそむきの罪によって身を汚さない。わたしは、彼らがかつて罪を犯したその滞在地から彼らを救い、彼らをきよめる。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。
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1行目から、「彼らは二度と、その偶像や忌まわしいもの、またあらゆるそむきの罪によって身を汚さない。・・・」とあります。

 

「彼ら」というのは、同章21節の「・・・イスラエル人・・・」のこと、と言うことができると思います。

 

同章21節は、次のようになっています。
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37章21節
彼らに言え。神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは、イスラエル人を、その行(い)っていた諸国の民の間から連れ出し、彼らを四方から集め、彼らの地に連れて行(い)く。
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下から2行目の二つの「彼ら」は、「イスラエル人」を指している、と言うことができます。

 

21節1行目の「彼ら」というのは、同章18節の「あなたの民の者たち・・・」のことで、結局は、同じものを指しているのではないか、と思います。

 

「彼ら」に「イスラエル人」を当てはめると、23節1行目からは、「イスラエル人は二度と、その偶像や忌まわしいもの、またあらゆるそむきの罪によって身を汚さない。・・・」となります。

 

23節に、「イスラエル人は二度と、・・・あらゆるそむきの罪によって身を汚さない。・・・」とあります。

 

イスラエル人が、あらゆるそむきの罪によって二度と身を汚さないときが来る、と言うことができると思います。

 

現在イスラエル人は、人を殺すことがあります。これは、殺してはならない、という律法に違反するものであり、神のことばに「そむく」ものである、と言うことができると思います。

 

それは、「そむきの罪によって身を汚」すことである、ということになるのではないでしょうか。

 

つまり23節の、イスラエル人が、あらゆるそむきの罪によって二度と身を汚さない、というのは、現在よりも先の、未来のことである、ということです。

 

いかがでしょうか。どのように思われますか。