2020-12-17から1日間の記事一覧

イザヤ書53章について その4

「大祭司」(マタイ26:65)や「彼ら」(マタイ26:66)のようなユダヤ人だけではなく、弟子たちもまた、「彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ・・・たことを」(イザヤ53:8)、思うことは無かった、のではないかと思いますが、いかがで…

イザヤ書53章について その3

「彼の時代の者」(イザヤ53:8)は、単に、「彼」は死刑に当たるので、十字架にかけられた、というようにしか思わなかったのではないでしょうか。 『新改訳聖書』第3版のイザヤ書53章8節(その1、前半)3行目から、「彼がわたしの民のそむきの罪の…

イザヤ書53章について その2

『新改訳聖書』第3版のイザヤ書53章8節(その1、前半)の記述は、使徒の働き8章33節(同)の記述と、微妙に違っています。イザヤ書53章8節下から2行目の「彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、」に当たる言葉は、使徒の働き8章33節に…

イザヤ書53章について その1

『新改訳聖書』第3版のイザヤ書53章7節と8節に、次のように書かれています。***7節 彼は痛めつけられた。 彼は苦しんだが、口を開かない。 ほふり場に引かれて行(い)く羊のように、 毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、 彼は口を開かない。…