『新改訳聖書』第3版のイザヤ書53章7節と8節に、次のように書かれています。
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7節
彼は痛めつけられた。
彼は苦しんだが、口を開かない。
ほふり場に引かれて行(い)く羊のように、
毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、
彼は口を開かない。
8節
しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。
彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。
彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、
生ける者の地から絶たれたことを。
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また、使徒の働き8章32節と33節に、次のように書かれています。
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32節
彼が読んでいた聖書の個所(かしょ)には、こう書いてあった。
「ほふり場に連れて行(い)かれる羊のように、
また、黙々として
毛を刈る者の前に立つ小羊のように、
彼は口を開かなかった。
33節
彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。
彼の*時代のことを、だれが話すことができようか。
彼のいのちは地上から取り去られたのである。」
* 別訳「生まれ」
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引用したイザヤ書と使徒の働きに書かれていることは、違う部分もありますが、似ています。
使徒の働き8章32節1行目の「彼」というのは、8章27節の「・・・エチオピア人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた宦官(かんがん)のエチオピア人・・・」のこと、と言うことができると思います。
その宦官(かんがん)のエチオピア人は、「預言者イザヤの書を読んでい」(使徒8:28)ました。彼が読んでいたのは、使徒の働き8章32節と33節のカギかっこではさまれた部分であり、その部分が、預言者イザヤの書にある、ということです。
その32節と33節のカギかっこではさまれた部分は、イザヤ書53章7節と8節に当たる、と言うことができると思います。その7節は、一部を除いて、使徒の働き8章32節とよく似ています。
イザヤ書53章7節1行目と2行目の、「彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。」の部分は、使徒の働き8章32節には無い、と言うことができます。この点は、違う部分です。この部分の「彼」は、「イエス」を思わせます。
「彼は痛めつけられた」、については、例えば、マタイの福音書27章29節と30節に書かれていることが、それに当たるのではないか、と思われます。次のようになっています。
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29節
それから、いばらで冠を編み、頭にかぶらせ、右手に*葦を持たせた。そして、彼らはイエスの前にひざまずいて、からかって言った。「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」
* あるいは「葦の棒」
30節
また彼らはイエスにつばきをかけ、葦を取り上げてイエスの頭をたたいた。
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これらの節では、イエスは、「肉体的に」痛めつけられた、というよりは、「精神的に」痛めつけられた、と言うことができると思います。このように「からかわれ」、「つばきをかけ」られ、「頭をたた」かれたときの、イエスの気持ちはどんなだっただろうと、考えることがあります。「彼は苦しんだ」(イザヤ53:7)、と思います。
その2、に続きます。