『新改訳聖書』第3版のイザヤ書53章8節(その1、前半)の記述は、使徒の働き8章33節(同)の記述と、微妙に違っています。イザヤ書53章8節下から2行目の「彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、」に当たる言葉は、使徒の働き8章33節には見当たりません。
それを除いて考えると、イザヤ書53章8節2行目からは、「彼が・・・生ける者の地から絶たれたことを」、「彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。」という文脈になります。
使徒の働きでは、「彼の時代のことを、だれが話すことができようか。彼のいのちは地上から取り去られたのである。」(8章33節)となっています。
「彼が・・・生ける者の地から絶たれた」(イザヤ書)が、「彼のいのちは地上から取り去られた」(使徒の働き)に当たる、と言うことができると思います。
また、「彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。」(イザヤ書)が、使徒の働きでは、「彼の時代のことを、だれが話すことができようか。」に当たる、と言うことができると思います。内容としては、「彼の時代の者」では、だれも思わなかった、また、「彼の時代のこと」は、だれも話すことはできない、というようになると思います。
「彼」というのは、「イエス」のことを思わせるのですが、「彼」が「イエス」だとすると、「彼の時代の者」というのは、「ユダヤ人」のこと、と言うことができると思います。
マタイの福音書26章65節と66節に、次のように書かれています。
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65節
すると、大祭司は、自分の*衣を引き裂いて言った。「神への冒瀆だ。これでもまだ、証人が必要でしょうか。あなたがたは、今、神をけがすことばを聞いたのです。
* あるいは「着物」
66節
どう考えますか。」彼らは答えて、「彼は死刑に当たる」と言った。
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これらの節にある「大祭司」や「彼ら」は、結局、イエスが死刑になるようにしました。こうして、イエスは、「生ける者の地から絶たれ」(イザヤ53:8)、「彼のいのちは地上から取り去られ」(使徒8:33)ることになります。
大祭司は、イエスが、「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」(マタイ26:64)と言われたことに対して、「神への冒瀆だ。」と言い、「あなたがたは、今、神をけがすことばを聞いたのです。」と言いました。
しかし、「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります」(マタイ26:64)、というイエスのことばは、「偽り」ではなく、「真実」であり、「神への冒瀆」ではない、と言うことができると思います。
つまり、「神への冒瀆」ではないことを、「神への冒瀆」だと思いこんで、「大祭司」や「彼ら」は、イエスを死刑にしてしまった、ということです。「今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来る」(マタイ26:64)、ということを、「大祭司」や「彼ら」は、思いもよらなかったと思います。
このようなことを指して、「彼が・・・生ける者の地から絶たれたことを」、「彼の時代の者で、だれが思ったことだろう」(イザヤ53:8)、と言われているのであり、また、「彼の時代のことを、だれが話すことができようか。彼のいのちは地上から取り去られたのである。」(使徒8:33)と言われているのではないでしょうか。
その3、に続きます。