ナタナエルやマルタは、イエスが『神の子』であることを認めている、と言うことができると思います。「その1」後半をご参照ください。
イエスが『わたしは神の子である』と言われたとしても、ナタナエルやマルタは『神を冒瀆している』(ヨハネ10:36、その1前半)とは言わない、と思います。
イエスが本当に『神の子である』なら、イエスが『わたしは神の子である』と言われたとしても、それは、『神を冒瀆している』ことにはならない、のではないでしょうか。
ただ『真実』を言われただけ、ということになると思います。
ユダヤ人たちは、イエスが『神の子である』ことは『真実』であるということを、知らなかったために(認めなかったために、のほうがよいかもしれません)、『神を冒瀆している』と言ったのだと思います。
マタイの福音書26章63節から65節までに、次のように書かれています。
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63節
しかし、イエスは黙っておられた。それで、大祭司はイエスに言った。「私は、生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」
64節
イエスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」
65節
すると、大祭司は、自分の*衣を引き裂いて言った。「神への冒瀆だ。これでもまだ、証人が必要でしょうか。あなたがたは、今、神をけがすことばを聞いたのです。
* あるいは「着物」
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64節に、『イエスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。・・・」』とあります。
これは、大祭司が「あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」(63節)と尋ねたことに対して、イエスが答えられたことばです。
「彼に」(64節)の「彼」というのは、「大祭司」のことです。
「イエスは『大祭司』に言われた」(64節)、となります。
「あなたの言うとおりです」とあるので、イエスは、ご自分が『神の子』であることをお認めになっている、と言うことができると思います。
イエスがこのようにお答えになると、大祭司は、「自分の*衣(あるいは、着物)を引き裂いて」、「神への冒瀆だ」と言いました。
ヨハネの福音書10章33節(その1冒頭)のユダヤ人たちと同様、大祭司も、イエスが『神の子である』ことは『真実』であるということを、知らなかったために(認めなかったために、のほうがよいかもしれません)、『神への冒瀆だ』と言ったのだと思います。
ナタナエルやマルタは、『神への冒瀆だ』と言うことはなく、イエスが『神の子』であることを信じた、と言うことができると思います。
しかし、大祭司やユダヤ人たちは、イエスが『神の子』であることを信じることはできなかった、と言うことができます。
その3、に続きます。