「冒瀆」について その6

悪魔が人殺しである(『新改訳聖書』第3版のヨハネ福音書8章44節、その5冒頭)のと同様に、『あなたがたの父である悪魔』から出た「あなたがた」も人殺しである、と言うことができると思います。

 

人殺しであるから、イエスを殺すのであり、イエスを殺すために死刑にするのですが、その場合、理由は何でもよい、のではないでしょうか。

 

『冒瀆のため』や『神を冒瀆している』というのは、ヨハネ福音書『10章』で言われていることです。「その1」をご参照ください。

 

しかし、イエスを『殺そう』としていることは、ヨハネの福音書『8章』で、すでに言われています。「その3」をご参照ください。

 

つまり『8章』では、イエスを『殺す』理由は、『冒瀆のため』や『神を冒瀆している』ためではないと思われる、ということです。

 

「悪魔は初めから人殺しであり」(8章44節、その5冒頭)、悪魔のうちには真理がないから真理に立ってはいない、のと同様に、「あなたがた」も、真理に立ってはいないので、「神から聞いた真理をあなたがたに話しているこのわたし(すなわち、エス)を、殺そうとしてい」(ヨハネ8:40、その3冒頭)る、ということだと思います。

 

悪魔は人殺しであるので、「あなたがたの父である悪魔から出た」「あなたがた」も、『人殺しである』、と言うことができると思います。

 

だから、「あなたがた」すなわち「イエスを信じた」(ヨハネ8:30)ユダヤ人たちは、イエスを「殺そうとしてい」る、のだと思います。

 

『冒瀆のため』や『神を冒瀆している』ため、という理由は、エスを『殺す』ための『口実』と考えるのがよいのではないでしょうか。

 

同じことは、大祭司についても言えると思います。

 

大祭司は、イエスが『神の子である』ことを認めませんでした。

 

「あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」(マタイ26:63、その2前半もしくは中ほど)と、大祭司はイエスに聞いています。

 

ただしこれについては、今のところまだ確かなことは言えませんが、大祭司は、イエスが『神の子である』ことを知っていたが、知らないことを装っていたのかもしれません。

 

『あなたがたの父』が『偽り者』であることを思うと、大祭司は『偽り』を言っているのではないかと思われるからです。

 

つまり、大祭司はイエスが『神の子である』ことを知っていながら、知らないことを装うという、『偽り』を言ったのではないかということです。

 

これについては、引き続き、考えます。

 

大祭司やユダヤ人たちの目的は、イエスを『殺す』ことであり、それはまた、「あなたがたの父の欲望を成し遂げ」ることである、と言うことができると思います。

 

そしてイエスを『殺す』ことは、イエスが『神を冒瀆している』ヨハネ10:36、その1前半)かどうかには関りが無い、と考えられます。

 

大祭司やユダヤ人たちには、イエスを『殺す』ための『口実』が必要であったのであり、その『口実』の一つが、『神を冒瀆している』(ヨハネ10:36、その1前半)であり、また『神への冒瀆だ』(マタイ26:63、その2前半もしくは中ほど)、であるのではないでしょうか。

 

しかし、イエスが本当に『神の子である』とすると、イエス『わたしは神の子である』と言われたとしても、イエスは『神を冒瀆している』ことにはならない、と思います。

 

ただ『真実』を言われただけ、ということになると思います。

 

ほかに意味があるのかもしれませんが、『真実』を言われた、と言うことはできると思います。

 

しかし、大祭司やユダヤ人たちは、その『真実』を受け入れることができなかったのです。

 

ヨハネ福音書8章43節に、次のように書かれています。
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43節
あなたがたは、なぜわたしの*話していることがわからないのでしょう。それは、あなたがたがわたしのことばに耳を傾けることができないからです。

 

* あるいは「わたしの話のしかた」

 

***

 

「あなたがた(すなわち、ユダヤ人たち)がわたしのことばに耳を傾けることができないから」、とイエスは言われています。

 

「あなたがた(すなわち、ユダヤ人たち)がわたしのことばに耳を傾けることができないから」、「あなたがたは、・・・わたしの*話していることがわからないので」す、という文脈になります。

 

そして、「耳を傾けることができない」のは、「『真理がない』から」(44節、その5冒頭)ではないでしょうか。

 

「『真理がない』から」(44節)「『真理』に立ってはい」(同)ないので、「わたしのことばに耳を傾けることができない」、のではないでしょうか。

 

エスは、「神から聞いた『真理』をあなたがたに話している」ヨハネ8:40、その3冒頭)、と言われています。

 

おそらく、大祭司やユダヤ人たちは、『ねたみ』のためにイエスを殺そうとしたのではないかと思われます。

 

以上述べたように、ユダヤ人たちがイエスを死刑にしたのは、ユダヤ人たちにとって、「表向き」は、『神への冒瀆だ』(マタイ26:63、その2前半もしくは中ほど)から、ということになると思いますが、ユダヤ人たちはそれ以前に、イエス『殺そう』としていたのであり、それは、『神への冒瀆だ』からということには関わりなく、おそらく、『ねたみ』のために『殺そう』としていたのであり、「『あなたがたの父』(すなわち、悪魔)の欲望を成し遂げたいと願ってい」(44節、その5冒頭)たから『殺そう』としていた、のだと思います。

 

いかがでしょうか。どのように思われますか。