「冒瀆」について その4

新改訳聖書』第3版のヨハネ福音書8章42節から44節までに、次のように書かれています。
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42節
エスは言われた。「神がもしあなたがたの父であるなら、あなたがたはわたしを愛するはずです。なぜなら、わたしは神から出て来てここにいるからです。わたしは自分で来たのではなく、*神がわたしを遣わしたのです。

 

* 直訳「彼」「そのかた」

 

43節
あなたがたは、なぜわたしの*話していることがわからないのでしょう。それは、あなたがたがわたしのことばに耳を傾けることができないからです。

 

* あるいは「わたしの話のしかた」

 

44節
あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。*彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。

 

* 別訳「人が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら、彼の父もまたうそつきだからです」

 

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42節に、『イエスは言われた。「神がもしあなたがたの父であるなら、あなたがたはわたしを愛するはずです。なぜなら、わたしは神から出て来てここにいるからです。わたしは自分で来たのではなく、*神がわたしを遣わしたのです。』とあります。「*神」については、脚注をご参照ください。

 

「あなたがた」すなわち「ユダヤ人たち」は、8章41節(その3冒頭)で、「・・・私たちにはひとりの父、神があります。」と言っているのですが、この42節の記述から、「神」は『あなたがたの父』ではない、と言うことができます。

 

エスは、「神がもしあなたがたの父であるなら、あなたがたは『わたしを愛する』はずです」、と言われています。

 

「あなたがたはわたし(すなわち、イエス)を『愛する』」(42節)なら、「あなたがたはわたし(すなわち、イエス)を殺そうと」(37節、その3冒頭)することはない、と言うことができると思います。

 

『あなたがたの父』については、44節に書かれています。

 

44節1行目から、「あなたがたは、『あなたがたの父である悪魔』から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。・・・」とあります。

 

エスは、『あなたがた(すなわち、ユダヤ人たち)の父』は『悪魔』である、と言われています。

 

『あなたがたの父』は「神」ではない、のです。

 

「私たちにはひとりの父、神があります」(41節、その3冒頭)というのは、知らずに言っていることである、と考えることができると思います。

 

また44節2行目から、「・・・悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。・・・」とあります。

 

ヨハネ福音書8章37節(その3冒頭)2行目に、「・・・あなたがたはわたしを殺そうとしています。・・・」とあり、同章40節(同)1行目から、「・・・あなたがたは、神から聞いた真理をあなたがたに話しているこのわたしを、殺そうとしています。・・・」とあります。

 

これはつまり、「あなたがたは、『あなたがたの父である悪魔から出た者』であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです」(44節、上記冒頭)、のことではないでしょうか。

 

「悪魔は初めから人殺しであり」(44節、上記冒頭)、と書かれています。

 

「彼(すなわち、悪魔)のうちには真理がない」から、「悪魔から出た者」である「あなたがた」のうちにも真理はなく、また真理に立つことはなく、「神から聞いた真理」(40節、その3冒頭)に「耳を傾けることができない」(43節)、のではないでしょうか。

 

その5、に続きます。