『新改訳聖書』第3版のヨハネの福音書13章1節から4節までに、次のように書かれています。
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1節
さて、過越(すぎこし)の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行(い)くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を*残るところなく示された。
* 別訳「最後まで」
2節
夕食の間のことであった。悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていたが、
3節
イエスは、父が万物を自分の手に渡されたことと、ご自分が神から出て神に行(い)くことを知られ、
4節
夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
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2節に、「・・・悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていた・・・」とあります。
悪魔は、イエスを売ろうとする思いをいつ入れたと考えられるでしょうか。
マタイの福音書26章14節と15節(その2中ほど、及びその3中ほど)に、次のように書かれています。
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14節
そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテ・ユダという者が、祭司長たちのところへ行って、
15節
こう言った。「彼をあなたがたに*売るとしたら、いったいいくらくれますか。」すると、彼らは**銀貨三十枚を彼に支払った。
* あるいは「売り渡したいのだが」
** すなわち「シケル銀貨」
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15節に、「・・・彼をあなたがたに*売るとしたら(あるいは、売り渡したいのだが)、いったいいくらくれますか。・・・」とあります。
これは、イスカリオテ・ユダが言った言葉です。
ユダはこのとき、イエスを売ろうとしています。
このことから、このときには、「イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思い」(ヨハネ13:2、上記冒頭)があった、と言うことができると思います。
イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いがあったのは、悪魔がすでにイスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていたからではないでしょうか。
その6、に続きます。