「この世を支配する者」について その8

新改訳聖書』第3版のルカの福音書22章1節から6節まで(その3冒頭)に、次のように書かれています。
***
1節
さて、過越(すぎこし)の祭りといわれる、種なしパンの祝いが近づいていた。
2節
祭司長、律法学者たちは、イエスを殺すための良い方法を捜していた。というのは、彼らは民衆を恐れていたからである。
3節
さて、十二弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれるユダに、サタンが入った。
4節
ユダは出かけて行って、祭司長たちや宮の守衛長たちと、どのようにしてイエスを彼らに引き渡そうかと相談した。
5節
彼らは喜んで、ユダに金をやる約束をした。
6節
ユダは承知した。そして群衆の*いないときにイエスを彼らに引き渡そうと機会をねらっていた。

 

* あるいは「騒ぎを起こさないで」

 

***

 

3節に、「さて、十二弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれるユダに、サタンが入った。」とあります。

 

その直後に、「(4節)ユダは出かけて行って、祭司長たちや宮の守衛長たちと、どのようにしてイエスを彼らに引き渡そうかと相談した。(5節)彼らは喜んで、ユダに金をやる約束をした。(6節)ユダは承知した。そして群衆の*いないときに(あるいは、騒ぎを起こさないで)イエスを彼らに引き渡そうと機会をねらっていた。」とあります。

 

この4節から6節までに書かれていることは、マタイの福音書26章14節から16節まで(その3中ほど、及びその2中ほど)に書かれていることと、同じときのことであると思われます。「その3」をご参照ください。

 

同じときのことであるとすると、ルカの福音書22章4節(上記冒頭)の、「ユダは出かけて行って、祭司長たちや宮の守衛長たちと、どのようにしてイエスを彼らに引き渡そうかと相談した。」は、マタイの福音書では、26章14節と15節に当たると考えられます。

 

マタイの福音書26章14節と15節は、次のようになっています。
***
14節
そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテ・ユダという者が、祭司長たちのところへ行って、
15節
こう言った。「彼をあなたがたに*売るとしたら、いったいいくらくれますか。」すると、彼らは**銀貨三十枚を彼に支払った。

 

* あるいは「売り渡したいのだが」
** すなわち「シケル銀貨」

 

***

 

ルカの福音書22章4節(上記冒頭)の、「・・・イエスを彼らに引き渡そう・・・」は、マタイの福音書では、15節の「・・・彼をあなたがたに*売る(あるいは、売り渡したい)・・・」に当たる、と言うことができると思います。

 

つまり、「イスカリオテと呼ばれるユダに、サタンが入った」(ルカ22:3、上記冒頭)という記述の直後の、「イエス彼らに引き渡そう」は、マタイの福音書では、「彼をあなたがたに売る」に当たり、この「彼をあなたがたに売る」は、「イスカリオテと呼ばれるユダに、サタンが入った」あと(おそらく、直後)のことである、ということです。

 

このことから、「イスカリオテと呼ばれるユダに、サタンが入った」(ルカ22:3、上記冒頭)ときに、「悪魔は・・・シモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れ」(ヨハネ13:2、その7冒頭及びその5冒頭)た、のではないかと考えられるのです。

 

そして、「ユダの心に、イエスを売ろうとする思い」が入ったので、ユダは「祭司長たちのところへ行っ」(マタイ26:14、上記)たのではないか、と思われます。

 

「ユダに、サタンが入った」のは、ルカの福音書22章1節から6節まで(上記冒頭、及びその3冒頭)の文脈から、「過越(すぎこし)の祭りといわれる、種なしパンの祝いが近づいていた」(22章1節)ときのことである、と言うことができると思います。

 

「過越(すぎこし)の祭りといわれる、種なしパンの祝いが近づいていた」ときというのは、「過越(すぎこし)の祭りの『前』」のことであり、「過越(すぎこし)の食事」の『前』のことです。

 

イスカリオテと呼ばれるユダに、サタンが入った」(ルカ22:3、上記冒頭)ときに、「悪魔(は)が・・・シモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れ」ヨハネ13:2、上記冒頭)たとすると、それは、「過越(すぎこし)の食事」の『前』のことになります。「その7」をご参照ください。

 

また、ヨハネ福音書13章2節(その7冒頭)の「夕食」が、「過越(すぎこし)の食事」であるとすると、悪魔がイスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れたのは、「夕食」の『前』のことである、となります。

 

悪魔は、イエスを売ろうとする思いをいつ入れたと考えられるのか(その5中ほど、3段落目)と言いますと、それは、「夕食の『間』」のことではなく、「夕食の『前』」のことであり、「過越(すぎこし)の祭りといわれる、種なしパンの祝いが近づいていた」(ルカ22:1、上記冒頭)ときに、「イスカリオテと呼ばれるユダに、サタンが入った」ときではないか、と考えられます。

 

その9、に続きます。