「この世を支配する者」について その11

「その9」と「その10」で述べたように、ヨハネ福音書13章12節から27節までは、「『夕食』の間」でのことである、と言うことができると思います。

 

ヨハネ福音書13章27節(その9冒頭)に、「彼がパン切れを受けると、そのとき、サタンが彼に入った。・・・」とあります。

 

「彼」というのは、「イスカリオテ・シモンの子ユダ」(13章26節、その9冒頭)のことです。

 

「サタンが彼(すなわち、イスカリオテ・シモンの子ユダ)に入った」のは、「彼がパン切れを受けると」(27節)という言葉から分かるかと思いますが、「『夕食』の『間』」でのことです。

 

新改訳聖書』第3版のルカの福音書22章3節(その3冒頭、及びその8冒頭)に、次のように書かれています。
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3節
さて、十二弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれるユダに、サタンが入った。
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わたしは「その8」(2022-12-23)で、次のように述べました。
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「ユダに、サタンが入った」のは、ルカの福音書22章1節から6節まで(上記冒頭、及びその3冒頭)の文脈から、「過越(すぎこし)の祭りといわれる、種なしパンの祝いが近づいていた」(22章1節)ときのことである、と言うことができると思います。

 

「過越(すぎこし)の祭りといわれる、種なしパンの祝いが近づいていた」ときというのは、「過越(すぎこし)の祭りの『前』」のことであり、「過越(すぎこし)の食事」の『前』のことです。

 

イスカリオテと呼ばれるユダに、サタンが入った」(ルカ22:3、上記冒頭)ときに、「悪魔(は)が・・・シモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れ」ヨハネ13:2、上記冒頭)たとすると、それは、「過越(すぎこし)の食事」の『前』のことになります。「その7」をご参照ください。

 

また、ヨハネ福音書13章2節(その7冒頭)の「夕食」が、「過越(すぎこし)の食事」であるとすると、悪魔がイスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れたのは、「夕食」の『前』のことである、となります。
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今引用したことは、「その8」の、下から6段落目から3段落目までで述べました。

 

つまり、ルカの福音書では、「イスカリオテと呼ばれるユダに、サタンが入った」(上記ルカ22:3)のは、「過越(すぎこし)の食事」の『前』のことであり、「夕食」が「過越(すぎこし)の食事」であるとすると、「夕食」の『前』のことである、ということです。

 

これに対して、ヨハネ福音書13章27節(その9冒頭)の場合は、「『夕食』の『間』」でのことです。

 

ユダにサタンが入ったことが、二度書かれています。①「夕食」の『前』と②「『夕食』の『間』」の二度です。

 

このことから、サタンは「夕食」の『前』に入ったあと、一度出ていると考えられます。

 

サタンは「夕食」の『前』に入ったあと一度出て、「『夕食』の『間』」に、再び入ったと考えられます。

 

サタンが一度出たからと言って、「ユダ」から、「イエスを売ろうとする思い」(ヨハネ13:2)が無くなったわけではない、と思われます。

 

その12、に続きます。