「冒瀆」について その5

新改訳聖書』第3版のヨハネ福音書8章44節(その4冒頭)に、次のように書かれています。
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44節
あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。*彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。

 

* 別訳「人が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら、彼の父もまたうそつきだからです」

 

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1行目から、「あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。・・・」とあります。

 

この記述から、「あなたがたの父」は「悪魔」であることが分かります。

 

「あなたがた」というのは、8章31節の、「・・・その信じユダヤ人たち・・・」のこと、すなわち、「イエスを信じた」(8章30節)ユダヤ人たちのこと、と言うことができると思います。

 

1行目から、「あなたがたは、・・・あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。・・・」とあります。

 

「あなたがたの父の欲望」とは、何であると考えられるでしょうか。

 

直後に、「悪魔は初めから人殺しであり」、とあります。

 

ここの文脈からすると、「あなたがたの父の欲望」というのは、「人殺し」のこと、と読むことができると思います。

 

「あなたがたの父」すなわち「悪魔」は、人を殺したいという欲望を持っている、のではないでしょうか。

 

「あなたがたの父」である「悪魔」が「人殺し」であるのと同様に、「あなたがたの父である悪魔から出た」「あなたがた」も「人殺し」であり、「人殺し」の欲望を成し遂げたいと願っている、のではないでしょうか。

 

「人殺し」の欲望というのは、この場合、イエスを殺すことです。

 

『欲望』であるなら、殺す理由は何であってもよい、ということにならないでしょうか。

 

あるいは、理由はなくてもよい、と思います。

 

ただ『殺したい』のであって、何らかの『正当な』理由は必要ないと思います。例えば、「正当防衛」のような理由です。

 

おそらく、『ねたみ』から『殺したい』のだと思います。

 

ただ『殺したい』のです。

 

『殺したい』という思いで心がいっぱいなので、「わたしのことばが、あなたがたのうちに入っていない」(37節、その3冒頭)、のではないでしょうか。

 

また、真理はなく真理に立つことがないため、だけではなく、『殺したい』という思いで心がいっぱいであるため、「あなたがたがわたしのことばに耳を傾けることができない」(43節、その4冒頭)、のではないでしょうか。

 

これまで述べて来たことをまとめると、「『あなたがたの父』の欲望」というのは、「人殺し」のこと、すなわち、人を殺したいという欲望のことであり、「『あなたがたの父』のわざ」(41節、その3冒頭)というのは、「殺そうとすること」であり、「あなたがたは、・・・あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願って」おり、それは、イエスを「『殺そう』とすること」である、そして、「あなたがた」はイエスを『殺す』ことを、「『あなたがたの父』から示された」(38節、その3冒頭)のであり、「あなたがた」は、その「『あなたがたの父』から示されたことを行う」(38節、その3冒頭)のである、ということになると思います。

 

その6、に続きます。