エレミヤ書50章について その12

「その11」で述べたように、『新改訳聖書』第3版のエゼキエル書34章2節(その11前半)の『牧者たち』というのは、「王」と「首長」、または「王」や「首長」のことである、と考えることができると思います。

 

この『牧者たち』について、エゼキエル書34章3節と4節に、次のように書かれています。
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3節
あなたがたは脂肪を食べ、羊の毛を身にまとい、肥えた羊をほふるが、羊を養わない。
4節
弱った羊を強めず、病気のものをいやさず、傷ついたものを包まず、迷い出たものを連れ戻さず、失われたものを捜さず、かえって力ずくと暴力で彼らを支配した。
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3節の「あなたがた」というのは、2節(その11前半)の、イスラエルの『牧者たち』」のことです。

 

この『牧者たち』が『羊』に対してどのようにふるまっているのか、について、3節と4節には書かれている、と言うことができると思います。

 

3節に「羊を養わない」とあって、4節では、その「羊を養わない」ということについて、説明を加えていると思われます。

 

3節と4節に続いて、エゼキエル書34章5節と6節に、次のように書かれています。
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5節
彼らは牧者がいないので、散らされ、あらゆる野の獣のえじきとなり、散らされてしまった。
6節
わたしの羊はすべての山々やすべての高い丘をさまよい、わたしの羊は地の全面に散らされた。尋ねる者もなく、捜す者もない。
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5節に、「彼らは牧者がいないので、散らされ、あらゆる野の獣のえじきとなり、散らされてしまった。」とあります。

 

「彼らは『牧者がいない』ので、・・・」とあります。

 

「彼ら」というのは「『羊』たち」のこと、と言うことができると思います。

 

「『羊』たち」には「イスラエルの『牧者たち』」(34章2節、その11前半)はいるが、『牧者』はいない、ということではないでしょうか。

 

エゼキエル書34章2節(その11前半)には、次のように書かれています。
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2節
「人の子よ。イスラエルの牧者たちに向かって預言せよ。預言して、彼ら、牧者たちに言え。*神である主はこう仰せられる。ああ。自分を肥やしているイスラエルの牧者たち。牧者は羊を養わなければならないのではないか。

 

* エゼ三四・二、八、十、一一、一五、一七、二〇、三〇、三一「神」の子音字は「

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3行目から、「・・・ああ。自分を肥やしているイスラエルの牧者たち。牧者は羊を養わなければならないのではないか。」とあります。

 

上記34章3節に、「あなたがた(すなわち、イスラエルの牧者たち)は・・・羊を養わない」、とあります。

 

「牧者は羊を養わなければならないのではないか」(上記2節)、というのは、「牧者は羊を養う者である」、ということを言っていると思います。

 

「牧者は羊を養わなければならない」(上記2節)のに、言い換えると、「牧者は羊を養う者である」のに、「あなたがた(すなわち、イスラエルの牧者たち)は・・・羊を養わない」(上記3節)、という文脈になると思います。

 

つまり、「イスラエルの牧者たち」は「羊を養わない」ので、『牧者』とは言えない者たちである、ということです。

 

「彼らは『牧者がいない』」(上記34章5節)というのは、そのような意味だと思います。

 

そして、「羊を養わない」(3節)ということについて、上記4節で説明を加えていると思われます。

 

その13、に続きます。