「神となる」について その8

新改訳聖書』第3版のエレミヤ書31章33節に、次のように書かれています。
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31章33節
彼らの時代の後(のち)に、わたしがイスラエル家と結ぶ契約は、こうだ。―主(太字)の御告げ―わたしは、わたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
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へブル人への手紙8章10節(その7)に書かれていることとほとんど同じである、と言ってよいと思います。

 

31章33節2行目からの「・・・わたしは、わたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。・・・」というのが、「彼らの時代の後(のち)に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約・・・」(1行目から)である、と考えられます。

 

これは、へブル人への手紙8章10節(その7)4行目からの、「わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。・・・」というのが、「それらの日の後(のち)、わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約・・・」(1行目から)である、というのとほぼ同じです。

 

エレミヤ書31章31節に、次のように書かれています。
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31章31節
見よ。その日が来る。―主(太字)の御告げ―その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。
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これは、へブル人への手紙8章8節(その7)に書かれている、「・・・見よ。日が来る。わたしが、イスラエルの家やユダの家と新しい契約を結ぶ日が。」とほぼ同じです。

 

また、エレミヤ書31章32節には、次のように書かれています。
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31章32節
その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。―主(太字)の御告げ―
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これと同じようなことが、へブル人への手紙8章9節に書かれています。次のようになっています。
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8章9節
  それは、わたしが彼らの父祖たちの手を引いて、
  彼らをエジプトの地から導き出した日に
  彼らと結んだ契約のようなものではない。
  彼らがわたしの契約を守り通さないので、
  わたしも、彼らを顧みなかったと、
  主は言われる。
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お分かりになると思いますが、これらの節に書かれていることは、よく似ています。「同じとき」のことが書かれている、と言ってよいのではないか、と思います。

 

このように、エレミヤ書とへブル人への手紙に書かれていることが、ほぼ同じであり、よく似ている、ということから、エレミヤ書31章33節に書かれていることは、へブル人への手紙8章10節に書かれていることと「同じとき」のことである、と言うことができると思います。

 

そうすると、エレミヤ書31章33節の「・・・わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」というのは、「キリスト以降」のことである、と言うことができると思います。

 

いかがでしょうか。どのように思われますか。