「実」について その2

新改訳聖書』第3版のマタイの福音書13章22節に、次のように書かれています。
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13章22節
また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この*世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。

 

* あるいは「時代」

 

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1行目から、「・・・いばらの中に蒔かれるとは、・・・実を結ばない人のことです。」とあります。

 

ヨハネ福音書15章1節と2節に、次のように書かれています。
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1節
わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。
2節
わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。
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また、同じ福音書の15章5節に、次のように書かれています。
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15章5節
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
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1行目に、「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。・・・」とあります。

 

2節1行目から、「わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き・・・ます。」とあります。

 

5節1行目の「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です」という言葉より、2節1行目の「わたしの枝」は、5節1行目の「あなたがた」と考えることができると思います。

 

その3、に続きます。